でっていう?

いわゆる文学的なものを読んだ後に思う、でっていう?、この話の意味は?表現したいものは?、とか思っちゃうのは、話自体がおもろないから出てくるんだろうな、なんて思う。現代アートの作品を見て、このアートの表現したいものは何なの?って聞いたら、このアートが表現したいものだよ、表現したいものを表現した結果がこのアートだよ、という問答のように、文学云々も背後に何かの意味やら何かがあるってよりは、作品自体が意味であり表現したいものなんだろうけど、その作品自体があまりにも、よく言えば淡泊で、悪く言えば面白くない、どうでもいいような普通の話だと、思わず聞いちゃうんだろう。え?これで終わり?何を伝えたかったの?って。
オチのない話をすると、で、オチは?なんて聞かれるのと一緒でさ。でも、話自体が面白かったら、もし仮にオチがなかったとしても、で、オチは?なんてわざわざ聞かれないように*1、読んだ後にでっていう?、意味はオチは伝えたいことは?、なんて思わないだろう。あー、面白かった。いい時間でした、と振り返るくらい。現代アートでも、それ自体が面白ければ、何らかの魅力があれば、意味や表現したいものなんて求めずに、なんか良かったよねー、だよねー、なんてことになるだろうから、やっぱり作品自体に魅力がない場合は、その背後に何らかの大層なものを求めちゃうんだろう。面白いオチの前振りかと思って我慢して聞いてた面白くもない普通すぎる話にオチがなかった時のように。その理屈で言えばこれを読んだ人がどう思うのかも容易に想像がつく。でっていう?

*1:聞かれない、よね?