重力

言葉も安定を指向するのか意味や繋がりのパターンがふるわれ、決められ、固まっていく。例えば色の意味を持つ言葉は、青赤白等々、その色を持つ物体にのみ接続されるといったように。全部が全部、そうして意味や接続が固まっていくと、言葉は沈殿し、衰退、死滅していく。それを防ぐために詩やら何やらがある。例えば色の意味を持つ言葉を視覚以外に接続する。青を聴く。赤い手触り。白い恋人。等々。すると、沈殿してた色の意味を持つ言葉は揺り動かされて、上昇し、泥の中にあるものを持ち上げると、周りの泥がぶわっと舞うように、他の言葉も活性化する。そうして言葉は延命していく、と、まあ、そんなイメージがある。
それが重力であり、言葉に限らず、というか言葉で構成されているから、現実認識もそんな重力が働いてるように思う。リアリズムに固まった認識は重力によって更に硬く小さくなっていく。そんな重苦しい現状を打破するのが、文学、なんていうと先に詩があるからそれっぽいんだろうけど、小説とかそこらへん。ま、言葉で出来てるしね。
「人間」ってのは、ホモサピエンスであり重力に縛られ人間関係がどうのこうの肉体的にどうのこうの、なんて固まった意味から、言葉が持つ自由な接続という武器を生かして、例えば空を飛んだり人外の何かに変身したりすることで現実の重力に縛られてしまった「人間」という言葉を解放、とまではいわなくとも、揺り動かして、自由に、活性化してやる。そうすることで、否応なしにかかり続ける重力から、逃れる、なんていうとイメージ悪いけど、相対化して距離を置けるというか、上手く付き合っていけるんじゃないかな、なんて思う。
例えば「女」は親が決めた相手と結婚し、相手がどんな相手だろうと別れることは許されないから、運良くいい相手に恵まれることを祈り、運悪く嫌な相手だったとしても我慢をして、子を成し、家を守り、死んでいく存在である、なんて重力に縛られた何百年か前のどこかの辺境の国の人に、違う価値観に接続された「女」の物語を聴かせることで、何かが変わるかもしれないように。ま、劇的には変わらないだろうけど、でも、そんな「女」もありなのだと、自分が知っていた「女」が全てじゃなかったんだと、知ることで何かが変わることもあるんじゃないのかなっと。