避妊の知識と意識が備わったことは、周囲にとっても、可能性としての新しい生命にとっても、とても素晴らしいことだった、云々。こんな感じの文章を読んで、ん?っと思う。別に変わらないんじゃねえのかなって。数億の精子=数億-1の精子+1の胎児、って。や、精子を生命扱いするのはあれだろうって気もするけど、じゃ、胎児だけが特別なのかっつったら、うーん、ってなっちゃう。なんだろ。卵子を考慮に入れればまた違うのかな。で、まあ、それは置いとくとして、そんとき思ったことは、イクラと鮭みたいなもんか?ってこと。いや、でも、鮭になったからってどうってことないもんなーって、そこではたと思い付く。生卵とホビロン。それだ!ま、それだけ。母体にとっちゃ確かにいいんだろうけど、可能性としての新しい生命にとっちゃ、さして変わらないんじぇねえのかなっと。それとも期待もたせやがってこと?痛点云々はさすがにないよな。じゃ、痛点が発達してない何週目までならおkですね、なんて言ったところで、そういう人は認めないんだろうから、そこに理由はないだろう。ま、あれか。卵子と出会って初めて新しい生命の可能性になるって認識ってことか。ウイルスは生命か、みたいな話で言うと、どっちなんだろ。でも、ま、そう考えるなら何もおかしなとこはないな。可能性としての新しい生命にとってもいいことだ。納得。