既知の不自由

一日一回ゲームがあるとする。丁か半か。ピンかキリか。表か裏か。上か下か。なんでもいいけど1/2で勝敗が決まり勝てば金などが貰えるゲーム。馬鹿野郎共は様々な情報で独自の理論を築き、飽きることなく毎日毎日予想しては当て、予想しては外れ、一喜一憂なんだかんだと楽しそうに参加している。
そんな中、全ての結果がわかる程度の能力を持った人間がいたとしたらどうなるか。楽しいゲームはつまらない作業へと変わる。結果を知っているのだからそれに予想する他なく、もし外れの予想を装ってみたところで、自分何してるんやろと阿呆くさくなるのが落ち。
さっき仮眠してたらそんな夢を見た。超つまんねえ作業を延々と。前に書いた逆行者の悲しみに通じるものがある。全知全能言うけど、全知は最悪だろうな、なんて思う*1。わからないからこそ面白い。ベタベタだけど、まさにまさしく。
ニュアンスとしては飢狼伝のナイフの下り、ナイフ使っていいぜとナイフを渡すとほとんどの人間が、鍛え上げた己の武があるにもかかわらず、ろくに使ったこともないナイフに頼り、その結果、武を持つ人間と対峙するのではなく、素人のナイフを避けるだけという有利な状況が生まれる。なんと不自由なことか云々。ゲバルが相手に拳銃を渡したのにも似ている。
ナイフや拳銃と違い、知るってことはそれを使わないという選択肢すらをも奪う。己の武を選ぶことは選択だが、既知の事項を無視することは逃避になってしまう。逆行者が、あたし未来で新聞とか見ないよ、だって誰かが死ぬって知っちゃったらそれ放っておけるかわからないもん、という態度ですら、知りうる立場から逃げているとさえなりかねない。たとえ、現実的な問題として、それだけの人数を救うことが物理的に無理だったとしてもだ。やってらんねえ不自由さ。そういう状況下でこそ、自分の欲望ってのが大事になってくんだろうなー。俺がやりてえからやる。やりたくねえからやらねえ。そういうもんが。正義やら道徳なんていうどこの誰が考えたのかわかんねえ価値観よりも上位に自分の欲望を置くことが。

*1:正確には前知なのかな。辞書ってみたら全てのことを知りうる、てなってたし。