心の粘膜

女が自分の鼻にピンを刺す。それを見ていた男が怒る。もうやめろ。女は尋ねる。どうして?あたしの鼻じゃない?男は答える。ちがう。俺が傷つく。
この下りを読んで心の粘膜って言葉が頭に浮かぶ。常識的に考えるなら、兵藤会長が言うまでもなく、痛くない。でも実際には痛める人が、正確に言うならば、痛いと感じる人が結構いる。それが皮膚化する前の粘膜的だな、っと。トランクスの布に当たるまでもなく、空気に触れただけで痛みを感じる、あの傷口剥き出し的な粘膜感。
でもそれを保つのは難しい。粘膜が皮膚化していくように、人の不幸にいちいち心を痛め続けることは。洪水のように大量に溢れ出る人の不幸。その全てに心を痛めてたら辛くてきつくて嫌になるから皮膚化することで鈍感になることで対応する。もうトランクスに触れたところで痛くも痒くもないように、ちょっとやそっとの不幸を見たところで何も感じることはない。
そんなことを考える。多分鼻にピン刺してるの見ても俺が傷つくからやめろ、なんて言えないだろうなあ。せいぜいが、うわー、引くわー、と距離を置いて感じないようにする程度。これが数年前だったら怒濤のようにテンパって、烈火の如く傷つきまくる。形容がおかしいけど勢い的には本当そんな感じだったろうなあ。