徒然草に載ってた話、とある荒武者が近くにいる人に、お子さんいる?って尋ねたら、いやいないんですわー、っ返ってきて、そらあきまへんわ、人間子どもを持ってはじめて情ってもんがわかりますさかいに、なんて言ったっつー話を、最初読んだ時は、うそーん、そんなことないやろー、って思ってたんだけど、今日出先で泣きじゃくる子どもを見かけて、うわーめっちゃ泣いてんなーっと眺めてたら、まーちゃんおいで、っつって、自分と同じくらいの歳の兄ちゃんがもうしょうがないなー、って表情で呼び寄せて泣きやませようとあやしているのを見て、あー、教科書で読んだあの話は、徒然草のあれは、こういうことだったのかな、なんて思う。
まー、もちろん、子を産むという意味で「持つ」のではなく、親という役割を引き受けるという意味で「持つ」じゃなくちゃ何の意味もない。子を愛さない親なんていない、という言葉が、じゃあ虐待したり捨てたりする親いるけどあれなんなん?という問いに対して、子を愛さない親なんていない、だからこそ子を愛さないあれは親ではない、と逆説的に正しいように。大人って何?痩せ我慢できることかな、なんて言ってたキャラがいたけど、大人という役割を、他人に頼るのではなく他人に頼られることを、引き受けるように、無条件に頼ってくる子どもに対して、自分が不安だったり頼りたかったり楽しみたかったりしても、痩せ我慢して大人という役割を引き受けられるかどうか*1
そこらへんが、親という役割を引き受けているか否かが、同い年くらいの自分とあの兄ちゃんを分けた差なんだろうな、っと。はは。大人って看板もまだ引き受けてないしな。気分は中学生。変えず、変わらず、変えられず。

*1:いや、痩せ我慢なんつったら、よっぽど苦痛に思えるけど、いいこともあるからそうでもないでー、なんて言われるかもしれないけど、何の役割も引き受けない時と比べたら、やっぱりそれは何らかの犠牲は生じるものだから、そういった意味での痩せ我慢。痩せ我慢って言葉がいまいち印象良くないな。適当なニュアンスの言葉ないかな。