努力

努力の才能とか聞くとなんだかもやもやする。その才能が、区別する言葉、たとえば数万時間という努力の裏打ちがある人に対して才能がある人はいいですねーなんてふうに数万時間の努力はうっちゃいといて、自分にはたまたま才能がないだけであって、もしも才能があったならばあなたと同じくらいはいけたんですけどねー、っていう区別断絶エクスキューズするような意味合いで使ってるカンジがして、努力の才能って言葉はなんかもやもやする。
でも、だからといって、脳筋的な、なにがなんでも努力で解決、努力するものは救われる、って考えも好きじゃない。オレは3年間、日本の野球部の中で一番努力したのに上達しないどころか怪我までしてしまった、神はいないのか、なんて3年間ずっとウサギ跳びばっかりやってた人間が宣うように、努力すればいいってもんじゃないだろう。方向定めずに、考えることすらせずに、ただ努力すれば報われるって、宗教じゃねえんだから。ま、努力教、的ではある。
ここはいっそ発想を変えて、努力は能動的にするもんじゃ、というか、できるもんじゃないと考えてみたらどうだろう。努力をするんじゃなく、向き×大きさ=努力って具合に、何らかの方向に何らかのことを為した結果が努力であって、結果である努力そのものに、するって言葉をつけることはできない、って具合に。