あれ読んだ

お気楽な天才と非才な仲間たちの話。ベタではあるけど、やっぱ悲しいなー、こういうの。気楽な天才が深刻な理由で死んだとき、ひとりは結婚し、ひとりは配達員をし、ひとりは不倫に失敗して家に籠もり、ひとりはアキバで路上ライブをしていた。何があれかっつったら、自らの才能に見切りをつけて違う道を進んだ前半のふたりに比べて、非才ながらも自らの才能を信じる道を選んだ後半のふたりの悲惨さが。

って、違うかな。もいっかい読んでみたら、3番目の子は家に籠もりながら詩や曲を書いてて天才をアンチ気味に批判し、自分たちの過去の映像を観てるってんで、道を諦めなかったふたりの内のひとりかと思ったんだけど、配達員の子がその後で4番目の子に対し、天才の後を追うと同じ道を進んだあいつは、なんて述懐してるから結局のところ自分の才能を信じたのは4番目の子だけであって、3番目の子は学生時代のシーンで気楽な天才のパフォーマンスに目を見開いて涙を流すシーンがあるけれど、あそこで実は圧倒的な距離に打ちのめされていて、でもそれを認めたくないが故にアンチ的に関わってただけなのかな。ワナビーの充電期間ではなく。ま、恐らく、薄々気付いちゃってるところが、やはり彼女が天才で、自分が非才だということに、気付いちゃってるだろうところが、また悲しいんだけど。本当は自分でも、というより自分が一番わかってるんだけど、それでも認めることができない云々。
4番目の子は天才の死を知って涙を流す。や、正確に書くと違う。死を知り、あなたに憧れていてあなたみたいになりたかったんですと思い、そこで自分のことを客観視し、三流…と描かれたコマで涙がにじみ、三流にふさわしいおめでたい脳みそだなというコマで涙が流れる*1。パンツを携帯の写メに晒しながら、萌え萌えなカッコで歌いながら。
シメは1番目の、配達員の子。彼女は自らの非才を知っていた。一番早く気付かせてくれてありがとう、僅かな希望すら与えてくれずにありがとうと汗を拭きながらコーラを飲む。自分は才なき者の代表だという彼女は、全ての凡庸な者、センスのないデザイナーやリストラされる会社員、落第する学生やすべる芸人、絵の下手な漫画家、等々等々の、勝ちを知らない全ての凡庸な者を許そうと空にむかって両手を広げる。あはははーと笑い、チャルメラの音で話は終わる。


アマデウスよりもローズウォーターさんが頭に浮かぶ。才能の物語というよりも、平凡で取り柄のない、生きる価値のない人生を、惰性で送っているだけの、そんなつまらない人間の物語に思えたから。でも、飛ぶことなく羽ばたき続けるお前たちすべてを許そう、なんて言ってるから、非才ながらも抗いもがく者に対する挽歌的な読み、なのかな。ま、いっか。所詮は受け手次第だ。その作品が面白く見えるのはそれを読んだ人の内面が面白いからだ、なんて極端なこと言ってた人がいたけど、少なくとも、つまらない人間である自分にはつまらない人間の物語に見えるっつー。ルビンの壺というか月のウサギというか、まあ見慣れた形に見えやすいんだろう。もし仮に月の模様が限りなくウサギに似ていたとしても、ウサギに馴染みがなければ初見じゃウサギには見えないように、適合率より、見慣れた形。

*1:藤田とじゃれ合う衣のとは違うシリアスに自嘲するノリ