あの暗い時期に得たもので、わりとよかったと思えるもののひとつに考え方がある。今日の自分、明日の自分、ってやつ。
たとえば、1年経てば体の細胞が総入れ替えしてるって話があるように、体じゃ自分を定義できない。1年前の自分の体と、現在の体じゃ、構成してる細胞が違いますけど、本当にご本人さんですか?って具合に。
じゃ、精神で定義できるかっつーと、これまた、1年前の自分とはわりと違い、3年前の自分とはけっこう違い、5年前の自分とはかなり違う。ま、話はこっからそっち方向に進んだんだけど、この考えの副産物として、じゃ、どこまで同じだと言えるのかって考えてみたら、6ヶ月前、3ヶ月前、1ヶ月前、1週間前、1日前、1時間前、1分前、1秒前……。ははは、そんなオーバーな、ってカンジするけど、たとえば知識にしろ、感動にしろ、それを経験した後と前じゃ違うな、考え方が、ものの見方が変わってるな、っていうのがあるけど、そうやって厳密に考えるなら、一瞬前すら違うと言える。
んじゃ、割合で考えるのか?ある時点から95%まで同じだったら同じで考えるのかっつったら、まあそう考えることもできるけど、感覚的に、自分は、起きてから寝るまでひとつとして考えた。そういったわけで、今日の自分、明日の自分。たとえば、えらいつらい日々があったとして、自分はこの苦しみを何年何十年と生きなければならないのか、っつったらそうではなく、明日のことは明日の自分が、明後日のことは明後日の自分が頑張ることであるからして、今日の自分は今日だけを頑張れば良い、そんなカンジ。
これはその場しのぎの楽ちん思考とかじゃなく、わりと本気でそう考えてるから、今でも基本的に1日単位で生きている。きつくても、ま、1日頑張れば、とりあえずそれでいいから、頑張れたりする。明日の自分にバトンタッチ。丸投げ気味の日も多いけど。知ったことか。ばとーんたっち。