義理の、という言い方はあまり好きじゃないけど、血の繋がってない親子が一見すると、血の繋がってる親子よりも親子らしいってのはわりとよくあるけど、それはなぜかっつったら、まあ、やっぱり、血が繋がってないからなんだろうなあっと、そんな話を読んでて思う。
義理の親、本当の親じゃない、なんて言葉がまかり通ってるように、やっぱり世間一般的には、それは本当の親子じゃないってなことになっていて、当然その言葉を使ってる人間もその意識があるわけだから、自分たちは本当の親子じゃないっていう引け目、というか、観念というか、まあどっかしらにそんなのがあるからこそ、親子らしい親子を目指そうじゃないかと、親子らしい親子を指向し、その結果、え?血が繋がってんだから当然親子っしょ?なんて風にあぐらをかいてる、ただ血が繋がってるだけの他人よりも、親子らしい親子になるのは、当然なんじゃないのかな、っと。
なんかデジャブるな、って思ったら以前、ニューハーフ物を見ているときに思って書いたことと、ほとんど一緒だった。いくら、整形したり胸いれたり玉取ったり竿取ったり穴つくったりホルモン打ったりしても、本当の女になれないからこそ、女らしさを云々。熟女物のときも似たようなこと書いてる。若さに、自分が男に求められる女であることに、あぐらをかいてる姉ちゃんよりも云々。基本的にあぐらかいてる人が好きじゃないのかな。