近所に保育園がある。狭い敷地に赤い門の、檻みてえな保育園。狭い敷地から溢れんばかりのこどもたちが、泣いたり笑ったり叫んだり騒いだりしている。そこを通るとき、ねえどうしてぼくたちこんな檻みたいなとこに押し込められなきゃならないの?、ってこどもに聞かれたらどう答えたもんかなあ、てなことが頭に浮かぶ。多分こう答える。大人は心に檻を持ってるから入らなくてもいいんだよ。云々。
小学生くらいだと自習の時間は騒ぐ。見ている先生がいないから。でも中学くらいになると自習の時間に騒ぐやつは少なくなる。心に先生がいるから。そういった意味での、心の檻。
マンガなんかだと悪の手先として育成された主人公がたまにいる。悪の手先として育成されたものの、洗脳が解けたり、なんらかの手違いによって、正義サイドに立って悪の組織を云々。そんないいもんじゃないけど、そんなカンジがする。訓練の失敗。檻が完成しなかった出来損ない。
高校の途中あたりで失速したわけだけど、でもまあ、もし仮にそこで何事もなく、その後もウマいこといってたとしても、結局はどこかでつまずいただろうっていう気はする。つまずくというか、ミシミシと疲労し、ぺきっと折れる、そんなカンジ。そういうタチなんだろう。質と書いてタチ。