悪にも悪なりの理由がどうこうって話があれなのは、シンプルな勧善懲悪じゃないからスッキリしないっていう以前に、そもそも覚悟が完了してないからだよなあっとか思う。
これこれこういった理由があったんだからしょうがないじゃないか!?他にいったいどんなやり方があったっていうんだ!?なんて具合に、あくまでそういった原因が悪いのであって、自分は本当はイヤなんだけど他に取る手段がなかったのでしょうがなく、ってなカンジで自らが責任を引き受けていないところがさ。理由のせいにしてんじゃねえと。あくまで決断するのは自分だし、その責任を引き受けなければならないのも自分なんだから。
ま、これは正義側にも言える、というかむしろ正義側のが多い気もする。あくまで、これこれこういった理由であるから仕方がなく悪を殺した的な話だと尚更。正しさに逃げている。理由が正しいのだからただそれに従った自分に非はない、的な。そこらへんが読んでいて非常にフラストレーション。それならまだ殺人鬼の方が筋通ってる。理由?殺したいから殺した、てな具合に。少なくとも自分が自分の決断に於いて殺したと引き受けている点ではずっと。
正義100%の理由があったところで、どうしても仕方がない理由があったところで、殺したのは自分なんだからそれを引き受けなければならない。殺してはいけない人間、殺されても仕方がない人間。そんなのがあるわけじゃなく、どちらも等しく人間で、あるのは目の前の死体だけ。死体をどう解釈するのも勝手だけど、事実としてその死体を生み出したのは自分であると、最低限認めて引き受けなければいけない。そういった意味で正義の名の下に、悪側の人間を殺した後に、理由の正しさを盾にして引き受けることが逃げてる人間よりも、快楽殺人者の方がずっと好感が持てる。同じ人殺しとしては。


ま、なんていうか、あれだよね。敵ながら天晴れである、と言えるかどうかみたいなところもあるよね。覚悟完了してたら、敵ながら天晴れであると言えるけど、覚悟完了せずにぐじぐじと他に理由がなかったんだ、じゃあ一体どうすればよかったんだ、的なことを言われたらさ、いくら戦いぶりが見事であろうと、敵ながら天晴れであると言えないように。あるいは、たったひとつのギャンブルマナーの方が似てるかな。負けても笑って支払うこと。