世の中いい人多いなあっと観音開きのドアにて思う。観音開きのドア、っていうか押す引くって書いてあるごくごく一般的なドアってのは、当然、押したり引いたりしたら自然と元の位置に戻っていくわけだけど、戻っていく途中に後ろから新しい人がきたらちょっと危ないってんで、手なり足なりでドアを開いた状態のままにしてあげて、後ろの人に配慮するような慣習がある。え?あんの?ってカンジだけど、びっくりなことに大半の人が、後ろから人が来たら何らかの配慮をしてる。
その配慮の仕方にもいろいろあって、最初に持ったドアの取っ手をそのまま握りながら前に進むってのが多分いちばん多いパターン。普通に、はいどうぞ、って開けるのは気恥ずかしいからか、あくまで自分が通過する際に少し長めに取っ手を持っているだけであって、べ、べつに後ろのあんたのためじゃないんだからね!みたいなニュアンス。でもこれやってみるとわかるけど、自分はドアを通りすぎてるっていうか、ドアから比べると結構前の位置にいるから、なんだか不自然な形になる。
そこで、第二のパターンとしては最初、真ん中で持った取っ手を、徐々に下へスライドさせていくってのがある。これがまた賢いやり方で、やってみるとわかるけど、本当自然にただ通り過ぎただけなのに、ドアが開いてる時間は普通より長いので、後ろの人もそのまま少し閉じかけたドアの取っ手を軽く押すだけで済むからスムーズでスマート。これの何がスマートかって、自分が後ろの人に気を使ったことに対して、後ろの人に気付かせないことでそのことに対して気を使わせない、ってのがべらぼうにスマート。
ってんで、こりゃ賢いわいと、第二のパターンの真似してたんだけど、しばらくして、いろんな人を見ていて、それはやっぱり小手先だよなあっと気付く。たとえば、後ろに自分がいることに気付いてバッと足を出してドアを開けたままにしてくれたガラの悪い兄ちゃんや、わりと後ろに自分がいるのにもかかわらず、つまりはドアなんか知らん振りして閉めてもなんら問題ないにもかかわず、ドアの側面を持って(これが第三のパターンというか多分二番目に多いパターン)、通りやすいように大きく開いてくれてたおっちゃんやらやら。そんな人を見てると、小手先どうこうじゃなく、気持ちなんだろうなあっと。
で、これの何がスゴイかってーと、自分は意識してやってんのに、他の人は無意識、というかべつに意識するようなことじゃなくやっていることで、しかも大半の人が、意識するまでもない当たり前のこととして配慮してんのが本当すげーなーっと。びっくりっすわ。