感受性の質を変える自由のなさ、古いものから脱却することのむずかしさ、てな文章を読んで、はたと思う。ああ、そういう風にはできてないねんな、と。
というか、人生数十年のスパンでそう何度も何度も変えられるようにはできてないし、もしできたとしたら不安定になるからそんな仕様は許しません、ってなことなんだろうなあっと。文化さんの立場的に。
根本的なスパンが違っているのであって、自分の人生数十年をベースに置きたいのはわかるけど、結局のところ、僕ら多分あわれな影法師、じゃなくて、せいぜいが次の世代にバトン渡すだけの存在なんだから、自分らの世代だけで正しい価値観にあわせてカスタマイズしようと焦るのがそも間違ってんだろうなあっと。前の世代から受け取った、これええやん、こっちもええやんと身につけた価値観を、次の世代にバトン渡して、次の世代がこれはいまいちやけど、これはええやんっと選別し、次の次の世代んとこまでその価値観を身につけ走り示す、とまあそんなカンジで続いていくんだろうなあ。文化さんは。
だからまあ、詰まるところ、まあ好きに生きや、いうことなんだろうな。多様性いうのは、文化いうのは。数千あるいは数万年を引き継ぐほんの一部で、群体で。ははは、それが人類という種の選択か、いう。