無能とか有能っていうのはたとえば、小指と薬指をくっつけたまま動かすとか、ペン回しをするとか、手の甲を上にして閉じた指の上に置いた効果を右から左へ左から右へと動かすとか、そういったものに似てると思う。
もし仮に、手先の器用さが有能無能の物差しである世界があったとしたら、小指と薬指をくっつけたまま動かせない人はとんでもない無能であると、なじられるだろう。どうしてこんな簡単なこともできないんだ?と心底呆れた表情で、くっつけた小指と薬指、そして親指人差し指中指の間をパカパカ開きながら。
その程度のもん。というか。まあそういった風に考えているから、その程度のもんであると、捉えている。だって、できねえもん。小指と薬指をくっつけて動かそうと思っても、薬指が超絶ぷるぷるして、薬指の筋がすこぶる変な感じになって、あー!もう!ってカンジでイヤになる。だから、自分がなんとかできる物差しの世界でラッキー。ほんと、もう、そういう世界だったら無理だった、詰んでた。薬指の筋はどうにもならん。訓練とかいうレベルじゃない。


と、まあ、そんなカンジ。自分が当たり前にできることをできない人が、自分には到底できないことをやすやすとやってのけたりする。薬指パカパカとか。物差しはいつでもどこでも恣意的なその場での物差しに過ぎないんだから、薬指パカパカと一般的とされている技術の間に差はない。あるのはあくまで向こう側の物差しの差。物差しを決める基準に介入できる余地はなく、できるのは物差しが自分の適正に合っていたらラッキーと呟くこと。
や、まあ、努力の余地はあんだけど。あー、これが、今現在の世界で使われている物差しかー、と確認し、それに沿うようにひたすら磨く。磨かなきゃ玉も光らないけど、泥団子でも磨けばそれなりに光るんじゃないかな、と祈りながら。ま、そういう余地はあるんだけど、でも、ま、適正的なものもいくらかはあるよね、と。そりゃ自分も努力すれば、小指と薬指をくくりつけて生活して、毎日パカパカの練習でもすれば、パカパカできるようにはなるだろうけど、せいぜいが出来の悪い泥団子くらいであるように、現実問題、向き不向きがあるし、その向き不向きと物差しが合致するか否かは、やっぱ運だよね、っつー。そういうの踏まえると、無能有能っていうのは、その程度の問題に思える。思ってる。今のこの物差しから見たらね、っつー。この物差しとは合わなかったんだろうな、っつー。