未来に生きてる

むかし風の大地でこんな下りがあった。現在が辛ければ過去に生きろ、過去が辛ければ未来に生きろ。三つのどれもが辛いことはありえないのだから云々。そういった意味じゃ未来に生きてる。たぶん自分は。
現在や過去が辛いってよりは、性分に近い気がする。出来損ないのカメレオンじゃないけれど、どうもなんだか、なんだかなあっと。ま、不適合者なんだろう。良いか悪いかはさておき、単純な話。


We are all in the gutter, but some of us are looking at the star.
いい言葉っちゃいい言葉だけど、星を見上げているのは成功する人間だけじゃない。星を見上げているやつの大半は、ワナビーとか不適合者とかそこらへん、なんつーと偏見じみてるけど、単純な話、夢を見た全員が叶うわけじゃないように、星を見上げたところでなんにもなれないやつの方が多い。
毎年1人の成功者が抽選で選ばれるとして、1年であきらめるAグループ100人、30年がんばるBグループ100人を考えた場合、確かに成功者はBグループの方が多いから、あきらめなければ夢は叶いやすいとは言うことができるけど*1、その代わり30年をフイにした70人が生まれる。Aグループの99人が1年であきらめ他のことに9年を使ってる間。そういう意味で。
星を見上げる成功者と落伍者の間には運や才能以外のちがいはない。はずれ者という点じゃ一緒。まわりのみんなが下水溝の中の生活を生きようと現実と対峙してる間、未来っていう星を眺めてばかりいる。望んでのことかどうかはさておき。


ま、そんなこんなで未来に生きてる。書いてて気づいたけど性分じゃなく単純な理由だった。向き合えるほどの魅力ある現実を生きてなく、しがみつけるほどの幸福な過去がなく、従ってまだ未定である、未定であると本人ばかりが思っている、未来ばかりを茫漠と眺めている。宝くじを買う人間の気持ちで。
期待値を示すことで宝くじを買うことの愚かさを説明しようとする人がいるけど、てんでピントがずれている。彼らが買っているのは期待値でいえば買値の半分の価値しかないチケットではない。もしも宝くじがあたったらこの現状から逃れることができるという、未来を買っている。より正確にいえば、現実を直視しなくてもよい権利を買っている。落雷にあたるよりも低いが0ではない確率をタテに、もしかしたら億万長者になるかもしれない今日を買っている。天国が存在する確率は限りなく低いが、確率が0じゃないのならば天国での効用は無限大であるのだから期待値も最大になる。あんなカンジ。
ま、世の中には星を見たくても見られない人もいるらしいから、真面目で真っ当でちゃんと現実を生きることのできる人、せいぜい落雷にあたるのを期待して星でも眺めてよう。どうせ眺めることしかできないんだから。逆立ちしても変わらない。

*1:実際は新規のやつらが毎年入ってくるから毎年確率があがるようなこんなおいしいシチュではない