幸福じゃない状態を不幸というのか、不幸じゃない状態を幸福というのか

なんつーと単なる言葉遊びっぽく、どっちも一緒じゃないのって気になるけど、その内実はだいぶ違う。
前者の場合、あたいってば幸福ね!って言い切れる人はほとんどいないだろうから、大半の人が自分は不幸になるが、後者の場合、同じように自分は不幸だ!と言い切る人は、そうとは言い切れない人よりもずっと少ないだろうから、大半の人が幸福になる。
ま、だからといって、あたいは不幸じゃない、あたいってば幸福ね!なんて思える人は少ないだろう。確かに不幸じゃないけど……でも、ねぇ?といった具合。定義づけしてない幸福はどこまでも遠ざかっていく。平常時に思い描いた幸福1の状態になったところで、さらに幸せそうな幸福2が目に入り、幸福2になったところで幸福3が気にかかり、と無限ループ。単純明快に、その繰り返しで世界1番になったところでまたべつの幸福のかたちが目に入り終わらない。
そういった意味じゃ幸福とは足るを知ること、踏みとどまること、だと言える。あるいは停滞とも。向上心のないものは馬鹿だ、的な考え方の人からいえば、まさにまさしく馬鹿野郎。だってそいつは現状に満足して、そこに踏みとどまり、更なる向上を目指さないんだから*1。つーわけで、向上心?なにそれおいしいの?みたいな人の方が幸福感を得られやすいんじゃないのかな。自分はわりとそんなタイプ。はっぱ隊風に言うならば、不幸じゃないからHAPPYだ。

*1:もちろん、向上することによる満足感は得られるだろうけど。ランナーズハイのような、常に走り続けることで得られる満足感。