偶然

市場は効率的で、相場に上手い下手は関係なくすべては偶然である、っつー話になると、必ずといっていいほどバフェットやソロスが引き合いに出されて、おいおいこいつらも偶然なのか?っつー流れになる。なんでそうなるかっつーと、偶然には思えないほどの妥当性を持ってるように思われるから。知性というか相場観というか、そこらへんのずば抜けてるカンジ。なるべくしてなったように思える妥当性を持つから、これは偶然じゃないだろう。そういう論法。
でも、こう考えてみたらどうだろう。相場には一見ずば抜けた妥当性を持つように思えるプレイヤーが数万人いて、その中から偶然に勝ち続けた1人が有名になってるだけじゃないのかと。
ここでいう偶然は、たとえばサッカーで次の試合に勝つと書いた手紙を512人に、負けると書いた手紙を512人に送り、結果がでた後で当たった方の送り先に、先ほどの試合で勝ったのならば勝った512人に、また同じように勝つと書いた手紙をそのうちの256人に、負けると書いた手紙を256人に、っていうのを繰り返すあれ。そうすると10連続でサッカーの予想を的中させた手紙が1枚生まれ、結果はご覧の通りです、次の試合の予想をいっぱい万円でいかがですか?サッカー賭博で大儲けできますよ?っていう。
それなりの賢さを持ったプレイヤーが1024人いれば偶然の加護を味方につけた1人の賢いプレイヤーが誕生する。相場に対する独自の理論を持ち、そして実際に相場で大金を得た、なるべくしてなったように見えるプレイヤーが。
や、べつに支持者とか何でもなく、単純にそう思ったってだけの話。そしてこれは他のことにも言えるよなっと。正義であるとか、思想であるとか、芸術であるとか。