人を助けるのに理由はいらないだろ

なんてよく言うけど、人を殺すのに理由はいらないだろ、なんて言い換えたらどうだろう。たぶん反発ありまくり。でも等価でしょ、これ。助けるのに理由はいらないのならば、殺すのにも理由はいらないだろう。なんつっても、まあ、ダメなんだろうな、やっぱ。
助けるという行為が善として自明であると位置づけられているからこそ、こういった言い回しは通用するし、殺す理由はいらないだろなんて言い回しは通用しない。なぜ人を殺してはいけないの?という疑問に対して、そもそもこういった疑問を持つ馬鹿は殴ってわからせにゃならん、人を殺したらあかんことは当たり前のことだろう、なんて理屈はこういうところからでてくる。彼らにとって殺すことは悪として自明であるから。
でも間違っとりゃせんだろ、なんていう人は決して過去の人を馬鹿にできない。太陽が地球の周りを回ってることも、天皇が現人神であることも、自明だったんだから。天動説に対してなぜ?という疑問を持つことや、天皇の存在に疑問を持つことは神に対する不敬だった。けしからん。そもそもこういった疑問を持つ馬鹿は殴ってわからせにゃならん*1


これは正義の話にもつながる。正義は絶対的に正しいこと、正しさが自明である行為の存在を前提としている。だから、家族が乗ってる10人のボートと、知らない人が乗ってる100人のボート*2、どちらかしか助けられない場合、どちらを助けるのが正しいか云々なんてしょうもない話になる。答えはない。どっちでも好きな方を選べばいい。ただし、その選択に責任を持たなければならない。
ここが要。責任を負いたくないからどちらが正しいのか、そんなことを考える。自分は正しい選択をした。だから自分に責任はない。そこを突っぱねれば安寧な心境が手に入る。自分は正しい選択をした。だから過誤はない。マニュアル信仰。保証されたものに依れば責任からは逃れられる気がする。だって自分は従っただけなんだから。


そういったわけで、等価。助けるのに理由がいらないのならば、殺すのにも理由はいらない。なぜ人を殺してはいけないのですか?誰がそんなこといったの?べつに殺したいなら殺せばいいじゃん。ただし行為の責任は自分で引き受けなければいけないよ。愛する彼女1人と、人類すべての命、天秤にかけられた時どちらを助けるべきであるか。好きな方を選べばいい。正しい選択なんてない。もしそんなものがあるとするならば、それは正しい姿勢。ギャンブルに負けたとき笑って金を支払うのが賭場のマナーであるように、言い訳をせず自分が決めたその選択の責任を引き受けること。その姿勢さえあれば好きに選べばいい。ルシオラENDでいいじゃないか*3。私が決めた、いま決めた。そう言えるなら。

*1:殺すのだけは別件で、これは一種の自然法で云々なんつっても、あんまり意味がない。どちらかといえば構造の話だから。(敵を殺すのは善である→みんなが仲間になればいいんだよ→ほにゃらか→ほにゃらか)

*2:でかいな

*3:いまざっと読み返してみたらそんな単純な話でもなかったね、これ。単純な二者択一じゃなく、アシュさんが絡み、ルシオラの想いが絡み、その他諸々が絡み、結構フクザツ。しかし久々に読んでみてもヒロインっぷりがすげえ。メインキャラ食いすぎだろう。ボディコン涙目。