やる気ないやつは帰れ

という言葉には、本当に帰った方がいいパターンと、本当に帰るとキレるパターンがある。
前者は文字通り、やる気のないやつがいたらやる気があるやつにまで迷惑がかかるので帰りなさいという意味だが、後者の場合、そもそも帰るという選択肢は存在していないので、やる気のないやつは帰れ→だが途中で帰るという選択肢はない→参加したいのならやる気を出せ、という七面倒くさい紆余曲折を経た結果、「やる気ないやつは帰れ」という言葉はやる気を出せというレトリックになる。
参加したいのならば、というがそもそも参加しないという選択肢などない場合が多い。たとえば合唱コンクールや文化祭など。やるからにはちゃんとやろうよ!というのはその変形。そもそもやるやらないの選択肢がなく、半ば自動的に参加することになってるのに、この人は参加者である→参加者であるならばちゃんとやるべきである→やるからにはちゃんとやろうよ、となる。
話戻って前者の場合。これはわかる。やる気がないやつがいても迷惑だから帰りなさい。道理である。後者の場合。これがわからん。わからんこともないけど好きじゃない。面倒くさい。やる気出せよと言えばいいのにという話である。修造じゃないから恥ずかしいのだろうか。それともこちらからやる気を強制したところで意味はなく、本人が自主的にやる気を出すことに意味があるという考えからだろうか。それなら尚更本当に帰った方がいいだろう。
まあ何が言いたいかというと、自分があんまりツンデレが好きじゃない理由を考えた結果、こういうわけであるということ。面倒くせえ。思ってもないこと言ってんじゃねえよ。従って素直クールは好きである。べつにクールがどうこうじゃなく、その素直さが好ましいというか、尊敬に値するといった意味で。だから姉しよで言えば海お姉ちゃんが好きである。クールでも何でもないがなんのてらいもなく弟を素直に溺愛する様は好ましい。ビジュアル含め、こまけぇこたぁいいんだよ。その素直さがいいわけだから。故に素奈緒はだめである。素直じゃない+正論振りかざすという凶悪コンボの結果、相当苦手キャラである。この世にただ一つの正論があるわけじゃない。これ正論よね。
まあ、そんなこんなで、素直な人が好き。好ましく、望ましく、憧れる。