世界には学校に行きたくても行けない子がいるんだよ云々

で、学校に行けるのに行かない日本の子どもに対してけしからんっていうのがあるけど、あれってちがうと思うんだよね。
アフリカやそこらへんの子ども捕まえて学校に行きたくても行けない子って括ってるけど、べつに彼らは純粋に「学校」に行きたいわけじゃないだろう。明治時代には富貴栄達の手段として教育があったように、彼らも富貴栄達とまでは言わないまでも、金を稼げる仕事のために学校へ行きたいだけじゃないのと。
だからどうした?動機はどうあれ学校へ行きたいのなら一緒じゃないか?とはならないでしょ、もしそうなら。学校へ行けば良い仕事にありつける社会の学校と、学校へ行ったとしても良い仕事どころか公園暮らしの人がいる社会の学校じゃ、さ。良い仕事にありつくために学校へ行きたがる子は、良い仕事にありつけないなら学校なんて行きたがらないだろう。
学校へ行くことでみんなから抜け出せる社会と、学校へ行かなければみんなから置いていかれる社会。というか、行ったとしても置いていかれる人間がでる社会。どう考えても同じ「学校」であるとひとくくりにはできないでしょ。