人は誰しも人生を棒に振る権利がある

いい言葉。


そもそもからしてみんな、ベストの選択肢をねらいすぎる。ベストの選択肢でベストの人生を。でも悲しいかな。人生に攻略サイトはないんだよね。だから自分で決めなくちゃいけない。ベストどころかバッドありありの選択肢を。
でもよくよく考えてみればベストの選択肢って発想が良くないんじゃないかな。そんなの未来から過去を見渡した時にはじめて出てくるもんであって、その当時、現在進行形ナウのそのときには、どれがベストの選択肢であるかだなんて判別できないんだから。


それにこう考えてみたらどうだろう?攻略サイトをみながらやるゲームが往々にして作業に堕してしまいがちなように、もしも人生の攻略サイトがあったとして、そういう人生ってどうなんだろう?攻略サイトに書いてるようにただただ進める人生。もし他の誰かが、自分の中の人をやったとしても変わらない、全く同じでベストな人生。それってベストなの?
初プレイは攻略サイトみないでやるって人は結構いると思うけど、そうやって自分が好きな選択肢を取りつづけると他の人と比べてもオリジナルなストーリーを体験できたりする。ベストじゃないかもしれないけど自分が選んだ、自分だけのストーリー。ましてや人生はゲームじゃ比較にならないほどの目に見えないような選択肢にあふれてる。もしも他の誰かが自分の中の人をやったとしても、攻略サイトに頼らないで好き勝手に人生やってもらったら、今度は逆に、同じ人生なんて天文学的にありえなくなるだろう。


ベストな人生ではなくオウンの人生。語呂がわるい。ベストじゃなくともこれが自分自身の人生であると、自身のオーナーは自身であるという、そんな人生はどうだろう。もちろんそのためには引き受けなければならない。自分の選択を誰かのせいにしてはいけない。たとえどんなバッドな選択肢だろうと、自分の選択は自分の責任として引き受けなければ、それは自分のものにはならない。
でも引き受けさえすれば自身のものになる。ベストの選択をする必要はない。自分が好きで選んだ結果だから文句はない。そう、引き受けることで、どんな選択もできるようになる。ベストに怯えることも、バッドを怖れることもない。自分はこれを選びたいからこれを選ぶ。それでおわり。自分の人生のオーナーになれる。


そんなこんなでいい言葉。
ま、それに、結果的に人生を失敗したとしても、べ、べつに人生に失敗したわけじゃないんだからね、ただ人生を棒に振る権利を使っただけなんだからね、と思えるしね*1

*1:本来の一行目。挿入、挿入してたらなぜかこんな話に。そして最後の段落と矛盾。しかしまあ削ったら耐えきれない胡散臭さが爆発してしまうので見苦しい言い訳と共に残す