物語、夢、意識

前に書いた話の本題を今更ながらに思い出した。

偶然という星に必然という線を引いたら星座ができたよ!
d:id:snyd:20110131:1296467998

星という意味を持たない不規則な点を結ぶことで星座をつくりそこに物語を見出す。同じように人は世界を物語として認識するし、物語としてしか認識できない。大体そんな話。


で、これは夢にもいえるんじゃないかなってのが本来の本題。前から不思議に思ってた。前日の記憶を整理して再構成する機能が夢ならばもっとシンプルでいいんじゃない?べつに妙ちくりんなストーリーがついてくる必要はないだろう。そう。もしその考えが正しいならばどうだろう。枕にした星座の話を前提にしてみるとこんな風に考えることができる。
今まで夢だと思っていたものは本来の夢じゃない。夢の機能とは主に前日に得た知識をフラッシュバックすることだけであり、いわゆる夢と呼ばれているものはそのフラッシュバックする記憶と記憶の間を私たちが勝手に物語を見出しているだけである。何の意味もない星に星座を見出す人間のように。


なんでい、そんなことかい。なんて思う人もいるのかな。もしかしたら世間的に夢というのはそういう認識だったりするかもしれない。そこらへんはよくわからん。ま、こっからは多分大丈夫。与太ってくる。
ここでもひとつとある実験の話を持ってくる。被験者にボタンを渡し、真ん中に線が引かれたスクリーンの前に立たせる。そのスクリーン上ではボールがランダムに動いている。あなたが上手にボタンを押せばボールはスクリーンの上半分をキープできます。できるだけキープできるように頑張ってください。そう伝えて実験を始めると、実験が終わる頃には全く関係のないボタンをかちかち押した被験者がだいぶ上手に操れるようになりました、とか言っちゃう実験。


これも踏まえるとこんな風に考えることができる。夢に限らず私たちの意識も同じようにただ連続する事実の間に後付けでストーリーを見出してるにすぎない。
たとえば。こうやって書いてる最中にキーボードをたたき壊したとする。すると、1.普通にタイピングする 2.キーボードをたたき壊す という二つの事実の間に、よっぽど怒ってるんだなというストーリーを見出す。怒っているからキーボードを壊したわけじゃない。キーボードを壊したことによって怒っているというストーリーが作られる。


さらに与太。そもそも私という意識が物語である。私がこうと決めたから決めるわけじゃない。まず決定機構によって決定された事実があって、その後に、私が決めたという、意識=物語が生じる。
何を馬鹿な。そう思うかもしれない。でもそうだろうか?投げられた石にもし意識があったなら石は自らの意志で飛んでいると思うだろう。そんな言葉があるけど、まさにそういうことじゃないだろうか。全く関係のないボタンをかちかち押して操作できていると思うように、もしもあなたの思念で動きますというロボットのパイロットになったとしたらどうなるだろう。
ボタンをかちかちするよりもさらに直感的な思念で操作できるロボット。ロボットが動いたら自分が動かしていると思いはしないだろうか?そしてもしも生まれたばかりの赤ん坊がパイロットだとしたらどうだろうか?生まれたときから思念で動くロボットのパイロットとして育った赤ん坊はどのようになるだろうか?そしてそれは生まれたときから人間というロボットの中にいるあなたと何がちがうんだろうか?


そういう話。例をはぶきまくりだけど、書きまくったところで大して変わりはないだろう。与太は与太。あるいは21世紀くらいの認知物理学なんかに載ってたりするかもしれない。
しかしまあ。決断が意識に先んじているのは確かだと思う。意識の速度は遅い。相当に遅い。経験則的にもわかるレベルで遅い。そして決断に遅れることミリセカンド。意識が後からストーリーを仕立てることも確かだと思う。ま、だからといって、どうって話ではない。意識のみが私だと考えるならば分裂をまねくかもしれないが、そんなこたぁない。狭く見積もっても身体含めての私である。意志決定機関が意識とはべつの系統だろうが私は私である。そういうこと。