お金は票に似ているという話を読む

なるほどなー。なら、こうも言えるんじゃないかな?
票もお金のようにたくさん持つ人と全然持たざる人に分けた方がいいんじゃないの?


たとえば工場が10個、資本が10個あるとする。資本を各工場に1個ずつ分けるより、有望な工場に集中投資した方が効率が良い。
てなわけで有望な工場を探し、というよりは、業績の悪い工場からはさっさと資本を引き上げて、業績の良い工場に再配分することで、資本も増えるし、工場も儲かる。10個ならまだいいが1000個、10000個になるとこのやり方がますます生きてくる。というよりも等分の効率の悪さがでてくる。


こう考えるとお金を持っている人は効率の良い人だといえる。株式売買は非生産的だとかいわれたりするけど、最適な資本配分をすることで利を得ている。運か実力かはさておき、得た利をまた投資し、増やしていけた人間こそが、たくさんのお金を持つに至る。
買う買わないの多数決が行われる市場では、それぞれが持っているお金という票には多寡がある。より効率的な生産・配分をしてきた人は多くの金を持ち、そうでない人はあまり持たない。お金という票が世界に影響を与えるパワーであるとするならば、なんだかんだで上手いこといってる資本主義という議会は、より効率的な人に多くの票を配分するシステムだといえる。


翻って民主主義を考えてみると、そこではどんな人も同じ1票しか持たされていない。あれれー?仮にも資本主義を標榜する社会の政体がそんな非効率なことでいいのー?数百年後にネタ的な扱いで教科書に載ってたりするかもね。
「昔の人ってなんで資本主義導入してたのに古典民主主義のままだったんだろう?資本主義導入してたんならわかりそうなもんじゃない?」
「もしかしたらなんで資本主義が上手くいくのかわかってなかったんじゃない?」
「あはは、それありえそう」
なんて貴族の娘っ子が宇宙船の中で言ってたり。


ま、もとより民主主義は効率を重視した政体じゃないからべつにいいのかな。
効率の点から言えば独裁が一番であるのに、民主主義がしぶとく生き残っているのは最悪を防ぐことを重視した政体だからだろう。ソロスじゃないけど、まずは生き残れ、繁栄するのはそれからだ、なんてね。