この前の話は、なぜ連休がすぐに終わるのか?という点ではいまいちだったけど、なぜニート生活は自尊心を損ねるのか?という点ではよくわかる。支出の額が収入の額に達するまで膨張するように、無為な時間も時間が許す限り膨張する。
1日に6時間もの勉強、掃除、運動、更に夜にまた数時間の勉強をこなす超人がいる。小学生だ。しかしそんな超人も夏休みに至っては勉強も運動もせず、与えられた宿題もこなせなかったりする。べつに中の人が変わったわけではない。ただ時間割がなくなっただけの話である。やることが決められていれば意外とこなせるもんだが、決められてなけりゃばたんきゅー。ひねもすのたり。だらだらだらだら。
だから無為に過ごしてもそんな気にすることはない。まわりが、身の回りの人間や同世代の人間が、ちゃんと働いてる中、何もせず、何も為さず、ぐだぐだだらだらの日々を送ったとしても、それはべつだん能力が劣っているというわけでも、小学生以下の価値しかないというわけでも、人間のクズでカスでボケでマヌケだというわけでもない。ただ環境がちがうだけ。物理的に許されている限りの暇にあわせて惰眠を極大化しているだけ。仕事を増やし続けてる役人と一緒。性である。気にするこたぁない。
それでも、もし、自分を変えたいと願うなら、小学生に倣えばいい。やりたいこと、やらなければならないことを時間割に組み込むことで。もちろん、環境が整っている小学生とくらべると強制力が弱いのでむずかしい。怖い先生もいなければ、同じカリキュラムをこなしてる同級生もいない。ま、そこは、がんばって。大丈夫。立派な社会人面してる人間もほとんどできてないから。みんなできてりゃダイエット業界やら英語業界やらが栄えるわけないんだから。
李斯のねずみの話と一緒。便所で糞を食べてる痩せ細ったねずみは人間を見るとびくつく。食料庫で米を食べてまるまると太ったねずみは人を見ても逃げすらしない。このねずみにどんなちがいがあるのだろうか。否。同じねずみである。ちがうのはのは環境の差だけである、っつー。
ま、どんだけちがうように思えても、同じねずみなんだからどうにかなんとかなるだろう。ガンバもねずみなり、我もまたねずみなり。伝説のねずみだろうが我と同じねずみである。ワンチャン、ノロイに一太刀くらい浴びせられるだろう。