コンビニ

結構前。いかにも管理職っぽい、課長とか部長って言葉が似合いそうなおっちゃんがコンビニの制服着て、たどたどしい様子でレジを打ち、一枚一枚数えながら、焦りながら、無駄の多い大きな動きで渡されたおつりを受け取りながら、これが市場による効率的な資源配分の結果なんだろうけど、うーん、でも、これ、うーん。なんて思う。
ちょっと前。わりと田舎の方のコンビニに行ったら、店員がおばちゃんとおっちゃんのみで構成されているのを見て、ああこれはこれでありだな、なんて思う。以前は昼ドラ見てたおばちゃんやら、あまり企業活動には寄与してなかったおっちゃんやらが、当初は若い兄ちゃんが大半であったコンビニの店員を担い、その分彼らがどっかしらで働いてるのなら、これは確かに効率的な資源配分だよなっと。
この前。外国人が多く住む団地の近くにあるコンビニに行ったら、ほぼ大半が、時間によっては全員が、外国人の店員で構成されていた。いらしゃいませ、ありあとございます、等の仕事に必要な日本語と、日本企業のマニュアルによって訓練された彼らは、他とくらべたらスムーズとはいかないまでも、店をまわす上では問題のないレベルで、その活動だけを見れば、レジやら掃除やら、よそのコンビニより上回ってる点もあるくらいだった。
これは同じ問題なんだろう。市場は非効率だったりするけど、結局は効率的に落ち着くことが多い。ゆがみがあるってことは儲ける機会がそこにはあるっつーことだしね。彼らはむかしコンビニで働いてた若者と同じ。店員が若者からおっちゃんやおばちゃんに代わっていったように、彼らもコンビニの店員をやめ、コンビニの店員は他の人間へと代わっていく。誰に代わるのか?市場での需要が少ない人材に。