神がいないからこそ聖書はこんなにも長いんだろうなー

っと詩編読んでて思う。善人が栄え、悪人が滅びてたら、こんなに書くこともないだろう。
もちろん、正確に言うならば、彼らが思っているような神がいない、ということ。ヨブの友人が言うような、応報主義的な神でなければいるかもしれない。アクトレイザーで民を導いてみたはいいものの、次第に面倒くさくなって飽きてしまった小学生のような神だとか。
神はおらずともゲームは続く。スタートされたゲームの中で、プレイヤーが席を立ってちっとも応答してくれなくとも、ゲームは淡々と進行する。


ていうか永遠に栄える国がないと仮定するならば、

神を信じる国が栄える→神様のおかげ
神を信じない国が栄える→神を信じてないのでいずれ滅びる
神を信じる国が滅びる→信仰に背いた結果で神様が反省させるために滅ぼされた
神を信じない国が滅びる→神を信じなかった結果

てことで、何とでも言えるっていうか、べつに神を持ち出さなくても自然と似たようなロジックにはなるよねーっと。というよりは、そういった視点っつーか、そういった解釈なんだろうな。芸というか批評というか、少年マンガを熱血物として読むか、やおい物として読むかみたいな。腐視点で見た少年マンガのように、神いる視点で歴史を読み解くとっつー。