歯車の生きがい

もし歯車に生きがいなんてものがあるとしたらどんなもんだろうと考えてみたら、他の歯車と噛み合わさって歯車としてかちかち回ってるとき以外にないよなーとか思う。
生まれたときから歯車なのか、学校という鋳型によって歯車として鋳直されたのかはさておき、もしもあなたが歯車ならば、社会という巨大な機構の中に入り込んで他の歯車から動力を受け取り、他の歯車へ動力を伝え、歯車らしく歯車的な人生を送るほうが有意義というか、生の実感は得られやすいんだろうなーっと。
あるいはワンチャン美術。歯車をアート的に使った作品のように、そういった生かし方もないわけじゃないけど、それこそアート的に独自の感性と価値観が必要とされる。何これ?ゴミじゃん?と言われようが、歯車のこの位置、この取り合わせこそが、マジ美麗、という考えが揺らがない程度には。
そういった意味でもやっぱり歯車は歯車らしく歯車的に他と噛み合わさって生きていく方が無難だといえる。他から動力を受け、他へと動力を渡すことで、それなりに生の実感を得られる歯車ライフの方が。なんつーと、いかにも批判的な感じがしないでもないけど、それこそが歯車が直接的に役に立つ方法でもあるわけだから、そっち目指す人にとっては、むしろ歯車上等だと言える。アートとして飾られた歯車なんて、直接的には、実際的には、世の中的には、役に立ちやしないんだから。