鐘は鳴らない

資本論で有名らしい革命の必然性の下り。
資本家が収奪を続けた結果、資本が集中し、独占資本家のみが残る一方、労働者の方は搾取とか抑圧がどんどんひどくなって状況は悪くなるが連帯とか知恵つけたりで反抗運動は活発になり、ある一点を超えると、労働者がぶち切れて資本家がフルボッコにされることによって、収奪者が収奪される。つまりは資本主義の終わりを告げる鐘がなる。とかなんとか。
破壊的イノベーションとかはさておき、もし仮にそういった安全な、外部からの凋落とは無縁な、資本が集中する一方な、資本家がいたとしても、革命は難しいんじゃないかなとか思う。確かに、このモデルならば、革命は起こるかもしれないけど、これは小学生的な社会でしかありえないんじゃないかな。ジャイアンのいないのび太のクラスにおけるスネオみたいなもんで、もしスネオがカードかなんかであこぎな収奪を繰り返したら、そりゃいずれ、のび太たちも革命に走るだろうけどさ、っつー。
革命は起こりえない。労働者は二つの敵を打倒しなければならないが故に。資本を独占する資本家と、暴力を独占する警察組織を。搾取は合法であるが、暴力は違法であるが故に。ま、機動隊よろしく、というよりはジャイアンよろしく、革命を為すにはまずそいつらを倒さんことにはどうにもならない。しかも、このジャイアンは、搾取されるどころか、労働者から搾取した金によって雇われているが故に、原作よりもずっとポチ。ジャイアンやっちゃってよ、と言われたら、わんわん、以外の言葉を持たないレベル。
つーわけで、のび太とスネオだけで考えるなら革命はありえるかもしれないけど、現実問題として存在する、従順なジャイアンを入れて考えるとのび太たちじゃ厳しいもんがあるよねーっと。それこそドラえもんでもいない限りは。