僕らにできることは理解ではなく尊重である

あんたに私の何がわかるっていうの!?よろしく、人のことなんてわかりゃしないんだから、無理に相手の思考プロセスを理解しようとするのではなく、いかなる思考プロセスを経たにしろ、どんな深い考えによるものだろうとどんなに浅い考えによるものだろうと、相手の思考のブラックボックスはともかく、相手が思考した結果そのように決断したという、その意志を尊重することこそ真に相手を認めるということになるんじゃないかな。
たとえば完璧に相手を理解できる超人がいたとして、あなたの考えは完璧にエミュレートして理解することができましたが、あなたのその決断は誤っています、これこれこういう理由でどうのこうの、なんて言われたらうっとうしいことこの上ないように、相手の考えを理解できたところで決断するのは価値観によるわけだし、更に言えばその価値観すらも完全にエミュレートできたとしても、あなたの人生をなぞった結果あなたの価値観は完全に再現できましたが、非常に残念ながらその決断は誤りだと言わざるを得ません、どちらがより合理的か、あなたの価値観に沿った効用を最大化できるかを、あなたの思考能力で考えたとしても、あちらの選択を決断していた方がよかったでしょう、なんて言われてところで、うっせーよ好きにさせろよっつー話であるように、決断において重要なのは思考プロセスや、その判断基準となる価値観なんかではなく、どんな愚かで馬鹿げていようが、俺がそうすると俺が決めた、っつーその決断、決めて断っちゃう、その一回性であるわけだから、相手の考えを理解するのは不可能で、可能だとしても意味ねーんだから、やっぱ大事なのは理解どうこうなんて話じゃなく、どんな深く考えた結果であろうと、どんな浅く考えた結果であろうと、相手が提出してきたその最終的な決断を、尊重することに尽きるんじゃねえかなっつー、そーゆー話。