自分なんかじゃ釣り合わないし

とか言うけどさ、相手がそれでいいって合意しているのならば、釣り合いもクソもねえだろう。
正常な判断ができる状態で、十全な情報を得た上で、下された決断が合意であるならば、釣り合いどうこうなんて話は全くの無駄っつーか筋違いだし、それでも気になるのならば自分を高める方へとベクトルを向ければいい。ビッククラブからオファーを受けたスポーツ選手のように、今はまだ力不足ではあるけれど、その成長性とかも含めて買ってくれたっつーことで、そのクラブにふさわしい実力を身につけられるよう日々努力していくとか。
もちろん、釣り合いが取れないとあーだこーだ言われるからそれがイヤとかなら、話は別。それならそれで全然あり。ありだけれども、それならそうとちゃんと言ってあげた方がいい。じゃないとそれは、正常な判断ができる状態で、十全な情報を得た上で、下された合意という相手の決断を否定することになるのだから。
そう考えてみるといろいろな問題がマッチング的なところに落ち着く。自分と誰かの意見が合わないのも、どちらかの考え方が正しいわけでも間違っているわけでもなく、異なる価値観によって合意に至らなかっただけである的な。そのように考えるのならば否定さるべき意見も、間違った意見もなく、ただ合意することのできない、ただ異なる意見があるだけである、っつー話になる。
こちらが否定されたくないのならば、相手のどんな意見も否定してはいけない。カルト宗教だろうが、天動説だろうが、どんな妄言だろうが。言える言葉はただ一つ。あなたの意見には合意できません。もちろん、その理由を述べるのは全然あり。対話によって新たな合意に至る可能性は開かれているのだから。しかし矯正はできない。強制もできない。ただ共生のみが…ってのはさすがにくだらないけど、ま、そーゆーことよねーっと。