真っ当な人生ってのをリアルに考えれば考えるほど、くっそくそに面倒くさい。そんな面倒ならいらんわ、って気もするし、今は何だかんだ給料もらって暮らしていけてるように実際やってみたら意外となんとかなるのかな、って気もする。
ローマは一日にしてならず、じゃないけど、一日にできるのは一日分のことだけであり、そりゃ一日単位の目線で数年数十年単位の積み重ねである山を見たら、こんなん無理っすわ、モノがちがいますわ、ってなるけど、イチローも毎日の素振りを積み重ねたように、舜も人なり我も人なりで、ワンチャンなんとかなる気がしないでもない。
ま、上手くいくにしろ下手こくにしろ、やるだけやってみるってのが落としどころなのかな。結局のところ試行回数を増やさなければ、始めなければ始まらない。どんな博打も振らなければ始まらないし、どんな宝くじも買わなければ当たらない。たとえその博打の期待値が95%だったり、300円する宝くじの期待値が130円だとしても。するだけ無駄じゃん?ってのは期待値を算出できる、全通りを想定して確率を計算できる博打だから言えるのであって、こと人生においてはやってみなくちゃわかんなかったりするからね。
どうにかこうにかなるにしても、結局どうにもならんにしても、ま、せいぜい、ワンチャン、振るだけ振ってみよまい、っつーことで。死生命有り、富貴天に在り。結果なんてわかりっこねーし、知ったこっちゃねー。投資において唯一コントロールできるのはエクスポージャーだけであるように、人生も結局のところはこっちの行動だけ。いくら不遇だろうが挫折しようがベットし続けることはできるように、どんなに哀れだろうが惨めだろうが、それだけはできる。一歩間違えれば、環境を軽視する、自我を過大視してしまう、危険な考え方ではあるけれど。要は結果なんて知ったこっちゃねーし、結果がどうあろうと、こっちはこっちで積み続けることはできるよねっと。無駄だろうが、なんだろうが。