模範的なロリコンの人生についてたまに考える

もちろん彼は犯罪になるようなことはしない。本物の少女には手も触れず、違法な動画すら持たず、一般的な流通ルートで手に入るマンガやジュニアアイドルのDVDを集めるのみ。淡々と仕事をこなし、淡々とエロ本で慰め、淡々と年を重ねていく。
代わりに大人の女性を求めることはなく、だからといって少女に触れることもない。ただ自分の望みを叶えることが、かつての社会では当たり前だったとしても、今の社会では犯罪であることを認識しているが故に、自分の望みが決して叶うことのない人生を、淡々と、黙々と生きていく。
どうして結婚しないの?と不思議がる周囲の声にはあいまいな笑みで誤魔化し、今までのように、これからのように、模範的に淡々と、決して望みを叶えられない人生を生きていく、そんなロリコンのことを。


セクシャルマイノリティー的な悲しみはあるんだけど、ゲイとかと違って、相手が傷つけられる対象ってとこがまた悲しい。ゲイ同士だったら愛し合えてハッピーね、社会やら親やらなんやらに理解してもらえない悲しみはあるけれど、ってのがあるけど、少女や幼女は一方的に傷つけられる対象としての存在だし、なんかのマンガであったように、ああこんな自分なんかが目に入ったら彼女の心を汚してしまう、ってな具合に傷つける側というか、清らかな存在である少女に対して自らは汚れた存在って意識があるとこがまた。

たとえば発想の転換イスラムに改宗して9歳の少女と結婚するのが合法なところに行くってのもありだけど、そこでどのタイプのロリコンかってことで話が変わってくる。合理的な、社会の規則を遵守してただけのロリコンなら、それでOKオールハッピーだけど、この社会の価値観に染まっちゃってる場合は、カラマーゾフの兄弟のイワンみたいに、結局は最初に刷り込まれた価値観から逃れ得ない。少女は清純で傷つきやすく、自らは汚れて傷つける存在なのだから、自分なんかが、たとえ合法だとしても、中東の少女なんかと結婚してしまったら、一人の美しくて清らかな少女という存在を汚して不幸にしてしまう。だから自分は、少女しか愛せないとしても、彼女たちの視線に入ることなく、清らかで美しい彼女たちをただ見ているだけで幸せなんだ、と。


そんな模範的なロリコンの人生についてたまに考える。喜劇的だけど、ま、悲劇だよね。淡々と日常を過ごす確定死刑囚が母親の面会に嬉しそうに会いに行くってのと一緒で、不可能性こそが悲劇の肝。自業自得性がちょっと薄いけど、泣いた赤鬼の青鬼とか、美女と野獣の野獣とか、そーゆー系の悲しさ。