嫌いの定義

先日Aさんのことを嫌いと言っていたBさん、Cさん、DさんがAさんと一見仲良く談笑しているところを見て、自分が考えてる嫌いと、世間一般の嫌いにはズレがあるんだろうなとか思う。自分の嫌いがガチャコンと押し上げる制御装置的なやつだとしたら、世間一般的な嫌いは部屋の照明スイッチ。カチカチ。カジュアルだし、話のネタになるし、それに何より切り替えが楽そでいっすね、それ。
そう考えると今まで、みんなが容易く人の悪口を言うのを聞いて、世の中のみんなは嫌いな人が多くて大変そっすねとか思ってたのが、実はそんな深い意味の嫌いじゃなくて、むしろ嫌いな人が多いそういった世間一般の人の方が、嫌い度数で言えば、一度スイッチ入っちゃえばそんな楽しそうな談笑なんかできずに、事務的な会話がせいぜいで切り上げてしまう自分よりも、全然健全で健康的で嫌い度数が低いんじゃないのかな、とすら思えてくる、というか、そうなのかな、やっぱ。
そんな風に考えると結構ちがう世界に生きてるよね、ぼくら、というか、みんな、さ。