かっこ

生命の起源はわかってないらしい。メタンやアンモニアに放電を加えるとアミノ酸にはなるが、そのアミノ酸がどうやって生命となるのかは不明で、アミノ酸たっぷりのとこに宇宙から何か落ちてきて生命になったんじゃね、とかそんな感じらしい。宇宙の起源はビックバンっぽいけど、何がどうしてビックバンが起こったのかは、よくわかんないよねーってのと似てる。
そうやって考えるならば、宗教的なものは意外と有効なのかもしれない、というか、レベルで言えばどっこいどっこいだし、その効果から言えばむしろ彼らの方が賢くすらあるんじゃないかな、なんて思う。その探求を目的とする人以外にとっては、生命の起源がどうだろうが、アミノ酸だろうが土だろうが、大して変わりはない。いずれにしても彼らの主戦場である日常生活からすれば生命の起源や宇宙の起源なんて、かっこに入れるような話だし、その確信的な断定は、日常生活にもプラスの影響力をもたらすんじゃないかな。
そうやって考えるならば、その探求を目的とする人以外にとっては些末な、世の中の大多数を占める凡人にとってはリソースの無駄遣いですらあるような問題を、断定することでかっこに入れて日常生活に集中させるその手法は、なかなか有効なんじゃないかなっと。集中力を欠く競走馬がブリンカーというマスクをつけることで視界の一部を遮り周囲の影響にまどわされることなくレースに集中できるように、世界のすべては神がつくり世界のすべては神の御心のままにっていう考え方は、それを信仰する人のリソースの無駄遣いを減らし、集中的な運用を助けるんじゃないのかなっつーさ。
もちろん視界は遮られる。自由な何かは失われるかもしれない*1。それでも大多数にとっては、幸福の総量的に考えるならば、その不幸で幸福な人々は、幸福で不幸な人々よりも、ハッピーなんじゃないかなっつー大審問官的なあーだこーだ。ま、いずれにしろ、一面的に、科学的じゃないからバカだ、なんて考え方はあんまり賢くはないんじゃいかなっつーさ。この世の知恵は神の前では愚かなものっつーか、三人行けば必ず我が師ありっつーか、完全な知なんて無理なんだから、まあ、他の視点で世界を観てる人を愚か者呼ばわりするんじゃなくて、へーどんな風に見えてるの?ってな感じで学べるとこは学んでいこで、っと。群盲象を評すじゃないけどさ。盲人同士仲良くしよで、っつー。

*1:もしかしたら俳句のように制限があることで逆に増えるかもしれない