減るもんじゃないしいいじゃん

これは正しくないとも言えるし、正しいとも言える。
望まぬことを強いられることで認知的不協和が増大し、感情と行動との関連が薄れることで減っていく。たとえば風俗で働く人物が望まぬ性的奉仕を続けることで認知的不協和が増大したときに、愛情と性的行為との関連性を薄めることで、その性的奉仕という行為に耐えようとするように。
しかし、そもそもからして、愛情と性的奉仕の間に何の関連性なんてものはなく、それ自体がただの錯覚に過ぎないという意味では、先の言葉は正しい。鬱病の人こそが現実を正しく認識するという実験結果のように、もしも世界をまっすぐに見ることができたとしたら、減るもんじゃないしいいじゃん、ということになるんだろう。そもそもあると思ってんのがまやかしなんだからと。