メンタルが強い

すべり気味の空気でもネタをやりきる芸人的な行為のことをメンタルが強いとよく言うけど、見てるとあれは、メンタルが強いというよりはそもそも周りの空気をあまり気にしていないように思える。
周りの空気がどうであろうと今は自分のターンじゃん的というか、そもそも周りの空気によって自分の出方を変える必要なんてないでしょ?的というか。折れた足をいじられると彼は痛いがわしは痛まないを地で行ってるともいえる。
もちろん空気を読む力は、相手の反応によってこちらのリアクションを修正して対応していく力は、MCだったり便利な出演者的なタレントは、幅広く適用できるものではあるけれど、自分のターンになったら周りのリアクションを気にせずにやり切る力は、そのスイッチをオフにすることが可能になるのならば、兵藤会長が言うように、身につけておきたい能力である。
呪いや悪口で人が死ぬというのは、その言葉自体が力を持っているのではなく、それを受け取った人の中で変換されて力を持つように、どれだけすべった空気になったところで私の心は傷つかない。私の心が傷つくのは、自分の渾身のネタが肯定されなかったと、私自身が肯定されなかったと認識することで、初めて傷つく。今日の客は合わんかったな、まだ時代が早すぎたかな、と認識した人の心は傷つかない。
いやあ、でも、こんなリフレーミング的なものではなく、メンタルが強いと言われる人はそもそもそんなことすら気にしていないように思えるんだよな。あー、すべった、すべった、で?っつーか、すべったところですべっただけじゃん?っつーか、根拠のない自信が大きいというよりもむしろすべることと自分の価値が全くリンクしていないような、わしは傷まない的な素晴らしい姿勢。はー、すべったねー、それより今日のメシなに食おっか?的なそもそもすべることすら気にしないスタイル。
ひとがどう思おうとかまわない。そんなことより自分がどんなことに興味を持つか、世界が自分をどう思うかよりも、自分が世界をどう思っているか。どちらが大事かだなんて考えるまでもないじゃないか。そんなファインマン的な自由さが備わっているようで、素敵だと思う。