劣化していくゴムのよう

小さい子どもを見ると肩こりとかなさそうでいいなあとか思う。自分にもあんな時期があり、今は肩の筋肉が張り、そしていずれ肩があがらなくなるのだろう。
劣化していくゴムのように、徐々に弾力が失われていくのかな。老人でもマッチョになることは可能だが、それは川の流れに逆行して泳ぐことに似ているように、弾力を保ったまま年を重ねることも同じだとしたら、体だけでなく精神も頑なになっていくとしたら、なかなか悲しい話である。
老苦の一種なのかな。ならば正しさよりも、手放し受け入れるスタイルの方がいい気もする。失われていく痴呆に任せるように、元々そんな理想だの過去だのフィクションなんだからと、今の現在こそが良くも悪くもすべてなんだからとあけっぴろげに時の流れに身をまかせスタイル。