とある本で引用されていた

跳り来る車輛の響、
毒の弾丸、血の烟、閃めく刃、
あはれ、驚破、火とならむ、噴水も、精舎も、空も。
紅の、戦慄の、その極の
瞬間の叫喚燬き、ヴィオロンぞ盲ひたる。

って文が格好いいなあって思ってたときに、白秋の文は凄いわ次元が違うって話を聞いたので、よし買いに行こうと本屋へ行ったらさっぱりなかった。いやいや、まあちっちゃい本屋ですし、しゃーないですわなって半径20kmくらいの中では一番でかいショッピングモール的な中に入ってる本屋に行ったけど、やっぱりなかったファッキン。畜生!なんて品揃えだ!日本文学のところにケータイ小説並べまくってるくせに白秋は一冊もないのかこの野郎!1年後には並んでないだろう本ばかり並べやがって!そんなスペースがあるなら現に100年残ってる本を並べやがれこの野郎!と、まあ、この前読んだ本風にキレてみた。150年くらい前の外国のおっさんだったけど、まあ世の中そう変わらないもんだな。匿名で物書くやつらにもキレてたし。あれ?これブログ本だっけ?って思っちゃったよ。
でもまあ、長いこと残った本メインで、1年で消える本の量減らしちゃったら減らしちゃったで、その100年後に残るような本が少なくなっちゃう気もするよな。粗悪で濫造されるバカの読み物、みたいな扱いの中から結果的に100年耐えるのが出てきたりしてるんだから、100年後にはケータイ小説の中から何か残ったりしてるかもしんないんだし。文学史の試験勉強する生徒が(100年後にもそんな勉強してるとも思えないけど)白樺派だっけ?自然主義文学だっけ?ケータイ文学だっけ?ってなってるのかもしんねえし。で、何の話だっけ?ああ、そうだ。折角本屋回ったのに本買えなくてむきーっ!ってなった話だ。まあ、書いてスッキリしたからもういいや。ついカッとないて書いた。今はスッキリしている。そんな感じ。