貧乳は希少価値だ?

ふざけるな!それではなにか?貧乳が大多数になったら価値がなくなるとでも言うのか?明治以前の平均胸囲が今より格段に小さい日本のような国は価値の総量が少ない国だとでも言うのか?違うだろ!そうだ。皆が貧乳だからと言って貧乳の価値は失われない。むしろ皆が貧乳ならば天国だ。パラダイスだ。そのくらいの心意気なくして何が貧乳好きぞ。
貧乳を気にしてるのが可愛い。ああそれも確かに可愛い。だがそれではなにか?貧乳パラダイスで皆が気にしなくなったら価値はないというのか?否。断じて否。貧乳はそれ自体に価値があり、それ自体が美なのである。流線型が美しいのは何故か。途方もない年月によって磨かれ続けた機能美がそこにあるからだ。一切の無駄がない洗練された美しさ。それと同じ次元に貧乳は存在するのである。故にスモールイズビューティフルなどといった褒め言葉も少しズレたものになる。貧乳は小さいのでも貧しいのでもない。洗練されたそれと脂肪の塊のどちらが完成された美に近いかと言ったら比べるまでもない。そう。巨乳が大きすぎるし無駄なのである。
今日までのあらゆる乳房の歴史は標準闘争の歴史である。だから私は今ここに貧乳党宣言を行う。現在貧乳と呼ばれるナイチチを標準とし理想とし美乳とし、それに過ぎたる巨乳を現在の貧乳の地位へと貶める。過去、ふくよかたる女性が美であった時代はふくよかたる女性が持て囃されたが、時代と共にスレンダーを美とするようになった。すると、ふくよかさは忌むべき対象と成り下がりダイエットをしてその脂肪を捨て去る努力されるようにさえなった。目指すべきはそこである。巨乳を打倒し革命を成し遂げるのだ!万国のナイチチよ団結せよ!
と、まあ、えっらい貧乳のレジ打ちの子見て貧乳が議題に上がり、そこで交わされた脳内会議の議事録的なもの。50台から1桁まで。高身長から低身長まで。3次元から2次元まで。巨乳から貧乳まで。熟女からショタまで。等々、割と広めのストライクゾーンなもんだから、会議は割と紛糾するかと思われたんだけど、案外あっさり貧乳派が勝利。演説まで始める始末。まあ貧乳な気分だっただけなんだろうけど。一応これはネタ。いや希少価値だとか恥じらいがいいだとかそんなんがないところでも貧乳スキーなのは事実だけど、転倒とかはどうでもいい。後、ふくよかなのもいいよね、と。