なんか今年も1/4が終わったらしいですよ

って記述を見て、え!?マジで!?って本気でびっくりした。この3ヶ月に為したことを考えるならば驚く程何もない。でも何かを為すことを目的にするのは小4の時に自分の好みではないって投げたから別にいいのか。
生まれたからには何かで一番になろうってフレーズを聞いてなるほどなーっと思った小4の自分。さて何で一番になろうか。野球?サッカー?陸上?そんなメジャーな物で一番に成れるわけないじゃないか。1秒で却下した。じゃあ何だろう?柔道?剣道?まだメジャーだ。3秒で却下した。
じゃあ何だろう?世界まる 見えとかでたまにやってる世界で誰もやってないことをやって一番だって言ってる人たち?ギネスに載ってるような?一番と言えば一番だけどあんなので一番になってもなあ。もっと有名じゃないと。じゃあやっぱり柔道かな?でももし今から柔道で一番になろうと頑張っても、自分には特別な才能があるとは思えないから本当に遊ぶ暇もないくらいに毎日一生懸命頑張り続けなきゃ一番になんてなれない。毎日毎日楽しいこともしないで辛い練習を一生懸命頑張って手に入るものが一番の称号?それって何か寂しくない?だって一番だなんて形がない幻みたいなもので、しかも何百年か経ったらほとんど忘れ去られ、何千年経ったら完全に消えちゃうようなもののために、楽しいことがいっぱいできるこれからを全部練習がんばらなきゃならないんだよ?おじいさんになったとき楽しい思い出はなくて残ってるのは自分は一番だったっていうことだけ。そんなもののためにいきるのは、なんだかとっても寂しい気がする。
的な。まあ、細部は違うだろうけど、大体そんなことを思った気がする。小4の時、友達の家のバンに乗りながら川を眺めてるときに。一番、柔道、仮定、寂しくね?って流れは今でも覚えてる。だからまあ、為したことを重視するってのは結局のところ上のそれと一緒で自分としてはあまり価値を見出せないから、それ本位になるよりは過程というか現在性を重視したい。まあ、別段楽しい日々を過ごしてるわけでもなく、特別享楽的に生きようとしてるわけでもないけど、それなりではある気がするからいいのかな。そりゃ人様と比べたら身分は人間のクズであり生活も糞つまんねえ日常であることは間違いないんだろうけど、なんだか最近、不思議と比べる気が起こらなくなってきたもんだから*1。さて、比較する気が起こらないので現在の自分をそのまま見つめてみようっと考えると、別にそれ程悪くないし、むしろまあそれなりに、それなりなんじゃないのかな、っと。

*1:まあ防衛規制的なそれなんだろうけどさ。あるいは粘膜が皮膚化するように、慣れてきて鈍くなってきたのかな。