この前、子どもの頃いじめられてたという人が

結果的に見れば良い効果を生んだのだから、いじめられるのも悪くないと思うよっと発言していた。確かに困難を乗り越えるとそこには成長が待っているのだから、そもそもその困難自体がなかったら成長することはなかったとも言える。でも、全ての人がその困難を乗り越えられるとは限らない。困難なる出来事に打ち拉がれたり、腐ったりしてしまう人も多いのだから、一概にいいとは言えない。ただ、困難という状況はそれに見合った新たな精神や環境構築を要請するのは確かだから、向上心のないやつは馬鹿だ的な精神の持ち主にとっては、我に艱難辛苦を与えたまえと月に向かって吼えるのも、また一興と言えるのかもしれない。
そういえば昔、織部金次郎という漫画に出てきた神父が、辛いことがある時は神が近くにおられるのです、神が与えたもうた試練なのです、的なことを言ってたけど、あれもそういうことだったのかなっと今更ながらにふと思う*1。まあ、あれ読んだの小学生の頃だったしな。

*1:いや、前に書いた悲惨なおっさんの話風に言えば理不尽な試練という名の現実の前にも神に恨み言を述べることのない民を選ばれてるとも言えるけど、どう見てもキリスト教だったからそう穿つこともないか。