軍の入隊時の厳しいしごきは

自分の体力と根性の限界を認識させるためという話を聞いた*1。なるほど。体力は根性を使わなくても使用可能なエネルギー。根性はその体力がなくなった後にどれだけ頑張れるかという伸びしろ的なものあたりかな。強制されない限り自らそこまで追い込む人はほとんどいないだろうから、そういったものは自分ではなかなか把握できないので、自らの体力と根性の限界を知るそれは有意義と言える。
さて、軍に入る者はそのしごきによって自らの限界を知るのだろうけど、軍に入らない者はどうなのか。追い込む機会など滅多にないだろうから、恐らく限界を知らぬままに生きていく。そして限界を知らないということは、過信に陥りやすいということでもある。まだ本気を出してないからという者は、漠然と己の限界を遠くに見積もりやすい。限界を知らないが故に、自分の本気がどこまでなのかを知らないが故に、漠然と遠くに見積もった本気という幻想に安住する。
お先真っ暗な人間が宝くじを買うことで、宝くじが当たれば一発逆転という万に一つもない可能性にすがりつき、お先真っ暗な人生から目を逸らせる権利を買っているように、自らの限界を知らないが故に自分は本気を出していないだけで本気を出せば…という幻想にすがりつき、目を逸らしてはいないだろうか。と、まあ、そんなことを、厳しいしごきは体力と根性の限界を認識させるためって言葉を聞いて、ふと思う。

*1:今まで築いてきた価値観をぶっ壊し、新たな価値観を刷り込みやすくするって話のがベタだけど。