今日は一日眠かったなあ

「同性愛は気持ち悪いって頭ではわかってるのに、どうしても女の子を好きになっちゃんだよ」的な百合話から自意識によって何とかなる自我をソフト、ソフトより下部にある基幹をハードとしてみた。そこを同一視すると、やる 夫ライクに脳内物質が偏っただけの、ハードが原因である鬱な気分を、ソフトが混濁・混乱・暴走して死を選びかねないのだから、分けとこうと。
で、分けてみたところ、今度は自我を守るために死を選ぶという現象が説明できない。特に脳内物質が偏ったというわけではなく、身体はいつも通りなのに環境が自我に悪影響を与える場合に、身体ではなく自我を守るために死を選ばせちゃうってのが。そこらへんを観察するとハードの中でも無意識さんってのが顔を出す。自我に気付かれないようにひっそりと、自我の負担が軽減するように八面六臂の大活躍。そしてそんな風に自我を猫可愛がりしてる無意識さんが、どうも死へと導いてる模様。身体なんか知ったことか。大事なのは自我ちゃんだけだって。どうやら身体と無意識さんは縦割り組織らしいので、これも分けた方がよかろうと、ハードの中をこれまた二つに分けてみる。


と、まあ、この前の糞長い話の一つをまとめてみるとこんな感じなのかな。無意識ってのが限りなく胡散臭いし、自我ってのもまた微妙だ。この前の朝、寝起きの寝ぼけ眼で自分の部屋を眺めながらその時の自分が「ここはどこだ!?仲間達はどこだ!?」と20秒ほど本気でそう思っていたように、その時の自分は、仮に今の私を山田太郎30歳だとすると、それは30年間生きてきて積み重ねてきた山田太郎ではなく、チープで陳腐なストーリーの主人公であって、そして私だった。
少し違う例だけど、この前再放送でやってたこ ち亀のアニメで両さんが巡査部長昇進試験を受験する話で、今まで一切使っていなかった眠りに眠っていた左脳を動かしたところ、真面目で勉強家な、全くの別人のようになっていた。そして当然のように周りからはお前本当に両津か?先輩ですか?と聞かれるんだけど、それに対する両さんの答えはこうだった。「何を言っとるんだ。わしはわしだ。」
さっきの寝起きの話の自分も、お前は誰だ?と聞かれたら同じように答えただろう。間違いなくそれは自分だったのだから。でもそれは今現在の自分では、山田太郎ではない。ならば、どういうことかと考えると、一概に私と言っても実際の所は人格とデータに分けられ、普段は正規のデータである山田太郎のデータをロードしているのだけれど、寝起きの混濁により人格さんが誤ってチープで陳腐なストーリーのデータをロードしてしまったんじゃないのかなと。
そう考えると説明がつく。山田太郎と陳腐なストーリーの主人公のデータとは全く異なるけれど、普段の両さんと真面目で勉強家になった両さんとは全く異なるけど、どちらの場合もそれを疑うことなく自分は自分であると言えるのは何故か?それは山田太郎という私が、両津勘 吉というわしが、自分は自分であると言っているのではなく、あくまで自分は自分であると言っているのは、それらをロードしている人格さんなんだからと。数年前の自分と現在の自分が全く異なっていても同じように自分は自分であると言えるのもそれで説明がつく。自分が自分であるという印象を日常的に更新しているから云々なんて面倒な理由じゃなく、自分が自分であると言っているのはあくまで人格さんなんだからと。えー、何か胡散臭ーいって気もするけど、例えば今日寝てる間に何らかの不思議パワーで色々と記憶を改竄されたりして全くの別人になってた場合、自分には一つの想像しか思い浮かばない。全く別人である自分が「自分は自分だ」と当たり前のように、何の疑問も抱かずに、言ってる様子しか。
って、これも当たり前なのかな?どうもそこらへんの常識が足りないからいまいちわからないけど、でもまあ考えてみたら当たり前な感じだから、割とそうだったりするのかな。まあ、どっちでもいいけど、仮にそうだとすると自我ってのはどういったものになるのかって話。記憶喪失の例なんかわかりやすいというか、まんまそのままだけど、今まで生きてきた山田太郎というデータにアクセスできない状態、そんな感じでいいのかな?40日間断食する偉い人にちょこまかと誘惑してくる悪魔を、色々と要請してくるハード、腹減ったよとかやりたいことしようぜとか言ってくるハードとそれを御するソフトと読めるように、そこらへんのスキルは変わらずに残る。たとえ、ロードするデータが変わっても残り続ける。ジョブが変わってもアビリティは残るみたいなもんでさ。
先に気分という結論があってそれに適当な理由をつけて、逆転させてるだけじゃないのか?例えば、ヨーグルトに砂糖を入れるのは本場ではやらないと周りを批難しておきながら、酸っぱいキムチは嫌いだと言うので本場では酸っぱいのも食べるらしいと伝えると本場なんて関係ないという態度を取る人がいる時、その人の中では本場での食べ方があってヨーグルトやキムチがあるのではなく、ヨーグルトに砂糖を入れない食べ方が好きだから援用し、酸っぱいキムチは嫌いであるから援用しなかっただけであるように。先にハードの鬱な気分があってそれにソフトが死を理由つけるように、恋してるから体を求めたいのではなく、体を求めたいという気分が先にあってそれに後から恋という理由を、自分が相手の体を欲しているという気分を正当化するための理由をつけて無意識に逆転させ、恋をしているから体が欲しいのだとするように、一事が万事そのような転倒に基づいていたとしても、理由があって結論があるのではなく、感情的なところで決められた結論を正当化するために理由を後からつけていたとしても、そこらへんのスキル的なものは残るんじゃないのかなっと。たとえそれが残滓だとしてもね。って、長いし迷走わけわかめ。もういいや。寝る。