たとえば

弱みを握られて犯されることになった新入りの女の子に先輩の女の子がアドバイスをする。我慢したり考えたりしちゃ駄目。そんなことしたら○○さんや□□さん(その先輩の子の更に先輩)みたいに狂ってしまうから。狂わないためにも何も考えずに奉仕のことだけを考えるのよ。舐めることだけを*1、どのように舐めればご主人様が射精するのかということだけを。
さて、もし新入りの子も先輩に倣ってそうした場合、一体どうなるのか。表面上は丁寧に奉仕するし、攻めれば大いに悦び、従順な奴隷に堕したように見えるが、心の奥底では主人に対する憎悪を煮えたぎらせている。煮えたぎらせてはいるのだが、しかし、彼女がやっていることは従順な奴隷と変わらず、主人を喜ばせている。そしてその心の奥底を一生涯、表面上に出さないとしたら、彼女をどうやって認識したらいいのか。
これは多分バ キとオリ バの話に似ている。囚われの身であるバ キに刑務所を自由に闊歩できるオリ バは小便をかける。しかしバ キは大いに笑う。身動き一つ取れないガキに小便をかけているっていうのにあんたちっとも笑ってないのな、と。何も言い返せないオリ バは部屋に戻り贅沢な食事を取るがちっとも満足できない。一方バ キは水を飲みうめえ!って満足げに声をあげる。
最初の話で言えば彼女が心の奥底では従っていないことを表明すれば、似たような構図になる。そして臆病な主人であれば、一度植え付けられた疑念を拭えずに従順なる彼女の奉仕も素直に楽しむことが出来なくなるかもしれない。でも、上の話は彼女が内面を表明しない場合。小便をかけられても何も言わずに屈服したかのように見えるバ キの場合。
でも、その話は多分ヒントになってて、奴隷の表明に疑念を抱く臆病な主人のように、他者の行為の裏に疑念を抱かない限り内面は存在せず、その行為こそが他者である。観測されなければ…って話と一緒で、そう考えたのならば、彼女にとって彼女自身とは表面上では奴隷でありながらその精神は屈したなかった高潔な人間であるが、彼女以外の全員からしたら彼女は単なる奴隷に過ぎない。
勿論、疑念を抱く人物がいたのならば、実は高潔な精神の持ち主かもしれないと彼女を認識するかもしれないが、結局の所彼女の真実だなんてものには触れられないのだから*2、私実は屈してないのよと言われても淫らに奉仕する彼女には説得力がなく妄言と思われるかもしれないのだから、行為が主となる。だから答えとしては彼女からしたら高潔な人物であると認識していても、周りから見たらただの奴隷ですけどいいですか?って感じなのかな。長い割にあれですね、そうですね。


で、まあ、同じネタを使うけど話すことは変わって、内面と行為の話。内面が全くの拒絶をしていても、行為は遂行される。その時内面は本当に意味がある内面なのか。内面が恋をしたからその人の体を求めたくなるのではなく、その人の体を求めたいと体が願った後にそれを正当化するために恋をしているからだと理由をでっち上げるそれと同じように、何ら意味も関係もない、裸の王様的なお山の大将的なものじゃないと言えるのだろうか。
そしてそれは平時にも適用される。平時は内面と行為が関連しているから気づかないだけで、拒絶時の時と同じように、内面と行為には関係がないのかもしれない。行為*3に従って内面は理屈をつけそれに関連させて、私という内面と行為には関係があると、因果があると、そう思い込んでいるだけじゃないのかと、考えられなくもなくもなくもない。まあ、妄言。書いてる内に現れた色々な綻びを無視して書いた妄言。

*1:その時はフェラの教習中だった

*2:第一ありはしないのだから。強いて言うならばどれもが真実。

*3:行為するかしないかを決める所が統合的な判断で行為すると決め実行された行為。