○○できなかった人がいるから云々

世の中には食べたくても食べられない人がいるから食べ物を、世の中には生きたくても生きられない人がいるから命を、粗末にしてはいけません、って理屈がいまいち腑に落ちない。よくある反論としては、俺が食べなくても食べたい人の前に食い物がいくわけでもないだろうとか、俺も生きたい人に命やれるんならやりたいくらいだとか、そんな感じだろうけど、やっぱりそこらへんなのかな。交換不可能というか自分が粗末にしたところで、それが恩恵に与れない人とは関係がないところが。
たとえばそれが関係あるとしたらどうか。ライオンがシマウマを食べているときに満腹になったらそのまま残し、その残したものをハイエナやらワシ?やらが食べるように、粗末にすることこそが食べられない人のためになるし、仮に命も関係がある世界ならば同様に粗末にすることこそが人を救う。でも、実際には食事は関係させることが難しく、命は関係させることが無理である*1。だからこそ、その逆として、あなたが享受してるそれと、恩恵に与れなかった人とのそれは、交換することが不可能だからこそ、粗末にしてはいけませんよ、って理屈なのかな?知らんがな、っつー話だわな。あるいは大きなお世話。
って、あれだ。書いてて思ったけど、あれに似てる。飯を等分に分けるか、食う人に食える分だけ取ってもらうかの違いに近い気がする。飯を等分に分けたら体質的に苦手なものも嫌々にでも食べなくてはならない。例えば自分はあるものを食ったら速攻で吐くけど(もはや反射の域に達してる)、そんな感じで嫌々にでも食わなければならない。でも、考えてみると、そこまでして食わなくてはいけない理由がないし、こんな言い方もあれかもしれないけど、食べ物からしたら嫌々食われるよりは美味しく食べてもらえる人に食べてもらった方がいいだろう、っていうあれに似てる。食事がそれしかないのならばそれを食わざるを得ないのはわかるが、現実には他に食える物があるのだし、栄養も他の食事で補えるのだから、食べる必要がないものを嫌々に食うよりは、それを美味しく食べられる人が食べた方が、そういった人に配分された方が最適だろうってそれと。
上の場合はあれだな。2行目の例と一緒で関係する場合、配分が可能な場合の例だな。だから、あれか。資源配分が不可能な場合に於ける資源保有者の倫理の問題って感じなのかな。そしてそれは後ろめたさから来てるのかな?配分できない資源を、手に入れられない人がいる中で、自分はこんなにもそれを手にしてしまっているという後ろめたさから。もし仮にそれが勝者の倫理から来ていれば「これは俺様が俺様の実力によって得たものなのだからどうしようが俺様の勝手だ。粗末にしてる俺様が羨ましいか?だがこれは俺様が得た正当な報酬で俺様のものだからな。敗者は黙って指をくわえて見てるがいい!」って感じで粗末にすることなんて気にしないだろうから。だから、あれか。ブルジョワの坊ちゃんがその後ろめたさから革命運動に身を投じるようなもんか。
後、友人の立場から見た場合、友人が餓死したけど目の前では金持ちが食事を残してることに対する怒りや友人が病死したのに目の前で自殺したいって言ってる人間がいることに対する怒り、も基本的には一緒で、結局は資源が配分されない場合の倫理の問題。資源配分が不可能なのだからせめて、得た者はそれを粗末にすることなく、感謝して資源を使っていてほしいという得られない者のせめてもの願い。得た者に対して持っていて欲しい倫理を求める話。まあ所詮気休めだから知らんがなっつー話であることに変わりはないんだけど。
文句があるなら、得た者に対して何やかんや言うんじゃなく、世界を変えろってのに近い。命なんかは無理がありまくりな気がするけど、でもまあ得てる者にしても現状のシステムに則ってやってるだけなわけだから、そいつらに文句を言うのはお門違いというか筋違いというか、システム自身を攻撃しないと意味ないよねっと。そういった意味では、最初に挙げたような食べられない人がいるから、生きられない人がいるから、食事を命を粗末にしてはいけませんよっていう倫理を流布するのは、ある意味正しいのかな。まあ、そんな感じでこんな感じ。無駄に長い。

*1:臓器移植はあるけど厳密に言えば命ではないから。臓器で考えれば粗末にすることこそが、生きたいと願う人に配分されるのだから、人を救う。