惚れた子が同性だと後からわかった場合

今までその子を想っていた純愛は、同性だとわかった途端に異常で変態な行為に堕する。その子への想いは全く変わらないにもかかわらず。さて、問題はそこから。何故同性を愛することは異常で変態な行為であるのか。それは同性を愛することが異常で変態な行為だとその社会では決められているから。だからそのように決められていない社会では、それは別に異常でも変態でもなく、単なる恋の一つの形に過ぎないこともありえる。行為に対してその枠から後から理由がついてくる。
例えばハヤテに恋した虎鉄。初めは女の子だと思って恋に落ちたハヤテが実は男だとわかって俺の純愛を汚されたと腹いせにハヤテが仕えるお嬢様を誘拐する。そして誘拐した先で何故かそのお嬢様に説教される。男だから裏切ったなどとは随分薄っぺらい愛だな。じゃあもしも何かの拍子にハヤテが女の子になったとしたらお前はハヤテの耳元で愛を囁くっていうのか?男だから裏切ったなどと言うその口で。その説教で目が覚めた虎鉄は追いかけてきたハヤテに向かって改めて言う。同性愛が認められるオランダに一緒へ行き結婚してくれと。
この一連の流れの中で虎鉄は現実を再構成することに成功している。「恋した相手は男だった。故に自分の純愛という想いはただの変態行為に成り下がる。でもこの想いの呼び名は純愛から変態行為へと変わっているが、ハヤテを想うこの胸の高鳴りだけは何ら変わっていない。もしもハヤテが女になったら愛を囁き男になったら足蹴にするというのか?それは違う。ハヤテが男だろうと女だろうと、この想いだけは、ハヤテを好きだというこの気持ちは変わらない。」
そういった流れによって、今までは価値観を決める枠組みに従っていた虎鉄は、目の前の現実を基準に、価値観の枠組みから言えば恋愛対象にはならない男だけど現実には恋に落ちてしまったハヤテという存在を基準にした新たな価値観を据え、旧来の価値観の枠組みより自分の気持ちがそれに優先する、たとえ男だろうと好きなんだからそれを優先するといった具合に、現実を再構成するに至っている


下の話の「彼らにとってそれが現実だとしたら」ってのはそういうこと。この前書いた正義と悪の話、悪だか正義だかはっきりしない行為ばかりする主人公に悪の権化とされる存在が説教をする。お前には悪の誇りはないのかと。すると主人公は呆れながら答える。あるわけないじゃん、と。俺は正義だとか悪だとかに従っているわけじゃなく、俺がやりたいことに従ってるだけなんだからと。正義とか悪だとかは後からついてくるものなのに、奴隷のようにそれに従うだなんて、悪の権化が聞いて呆れますね、プププですね。って話にも似てる。
そう、だからこそ正義はつまらないし*1、そんなものに縛られない人は魅力的なんだろう。真実、神の生まれ変わりで命を助けてくれて自らを赦してくれる聖女様に銃をぶっ放して、己が胸の内に蠢く欲望の方を重視すると宣言したあの教育家のように。まあ、何か話逸れたけどそんな感じでこんな感じ。
って、違う違う。10分後になって思い出した。現実とその価値観との枠組みが大きくズレたとき、わざわざ死んだりなんだりしないで、目の前の現実を基にして世界を丸ごと再構成しちゃうのもありだよねって話だ、確か。たとえば社会でのコードによって私の位置は大きく変わる。目の前の感じいい人と話してて、その人が一流大卒だと聞くとああ道理でと思っても、その人が中卒だと聞くとさっきの話ほんまかいな等と思ったりする場合、その人が話した内容には何ら変化はないし、その人自身にも何ら変化はない。変わったのは見方だけ。逆の立場でも、自分がそのように見られる立場になった場合も同じことが言える。私は何ら変わっていない。変わったのはあなた達の見方だと。そこでその社会的な価値観に従って卑下したり自らを貶めたり選ばなくてもいい選択肢を選んだりしてしまうよりは、私は私だと、周りの見方が変わったところで何ら変わらない目の前の私自身を基準にして、現実を再構成するのもありじゃないかなっていう感じの話。

*1:悪という概念に縛られてしまっているちゃちな悪もつまらない