人殺し

やたら甘美であるかのように素敵な出来事であるかのように描かれるけどそんな大したもんなのかな。犬を殺したところで鶏を捌いたのと同じ感慨を抱くだろうように、人を殺したところで犬を殺したのと、鶏を捌いたのと同じ感慨を抱くだけなんじゃないのかなって思える。要は理科の授業で習うことを再確認できる程度のことなんじゃないかなっと。皮を剥げば肉が現れ、肉を削げば骨が現れ、ただそれだけ。今はもう動かないバラバラの死体って感じでさ。
まあ鶏よりは犬、犬よりは人の方が付加する記号が多いように、その記号とのギャップを楽しめる人ってことなのかな。鶏はあんまり知らないから便宜的に魚にするけど、魚のイメージは生きてる動いてる泳ぐって感じだとすると、犬は愛らしい可愛らしい人に忠実人の友達賢い生き物等々って感じにちょっと増える。人に至るとまあ数え切れないくらいに増える。そのギャップを、美しい麗しい成功した幸せな順調な家族のいる家族に愛される人間的に優れている聡明で素晴らしい女性を、ズタズタのボロボロの動かぬ死体という物体に還元してしまうことで、そのギャップを楽しむって感じとか?
あるいは、単純に禁止されているからこそ侵犯が甘美で素敵な出来事って感じなのかな。殺人が禁止されずに日常的な出来事であるならば、誰も見向きも自慢も披露もしないだろうし。まあ、一度会ったらお話でも聞いてみたくはあるかな。そこに動かぬ死体という物体以上の何かはありましたかって。ま、会うことなんかねーだろうけど。