男には誰でも至れる悟りの境地がある

みたいなことを言っていたのは某web漫画だったかな。そんなわけで賢者タイムの話なんだけど、あれって実際に悟りに近い境地なんじゃないかなって気がしないでもない。煩悩むらむらな時は目の前のおにゃのこがエロくていやらしくて助平で素敵な存在に見えてるわけだけど、煩悩がするするっと抜けた後に見るとそこにはさっきまでのそんな存在はどこにもなく、ただのおにゃのこがいるだけなわけだ。
それを物全般に拡大するならば、柳は緑、花は紅って言葉のように、当たり前のありのままの世界を観ぜられる境地に近いんじゃないかなっと。万法は露々ってくらいに現れてるけどそれをそのまま観じることは難しい。というか現れてるものこそが万法って方がいいのかな。だから紅の花は、過剰に華麗で美麗な花なんかじゃなく、現れてるままのただの紅い花だし、その背後に何らかの真理真実雨あられ、素敵で完璧なイデアとか、なんかも存在しない。ただ現れてるものこそが真理であり真実であり緑の柳であり紅の花でありただのおにゃのこなんだと。そんな感じじゃないのかなっと。いや、知らないけどね*1

*1:言葉は背景とか正しい用法知らずに響きのみだから、あれだろうし。手持ちの少なすぎる材料で考えてみたらそうなったっていうだけの話。