天然系のいい子にちょっとスレた子が感化されて受け入れる

そんな漫画の話。確かに面白い。面白いんだけど、それを読み終えて自分がイライラしちゃってたのは、あれなんだろうな。自分の弱いとこ汚いとこを直視させられるからなんだろうな。
天然系のいい子は人として強いし好ましく素敵だ。でもそれはまさに天然の、生まれ持ったものであるのだから仕方がない。そう考えて直視することを避けようとしても、スレた子が彼女を受け入れることでそれは否定される。
スレたその子はスーパーのチラシやら試飲やらの下積みを3年やってきてようやくグラビアに露出する機会を得たのに、ぽっと出の天然の子が売れ始めたために、自分の芸名をその子に似たものと改名するように言われる。その子は嫌がるのだが、他の事務所でも今ならそういう売り方するだろうし、それ以上にいい売り方があるならどうぞ事務所を辞めてご勝手にと言われて、現実に直面する。こうなったら天然の子を踏み台にしてやると決意して改名し、その天然の子とブームに乗っかって改名したパチモン集めたという番組の控え室で彼女と出会う。天然の子は考えてたような性悪で作ったキャラじゃなく真実天然のいい子で、そしてただの天然なんかじゃなく、人として強くて大人で好きなタイプだった。そしてその子は天然の子を受け入れて仲良くなる。
そこで天然の子がいい子であるのは天然であるが故にって考えは否定される。なぜなら彼女に恨みを持っていたスレた子は彼女に出会ったことで考えを変え受け入れたから。受け入れられる強さを持っていたから。つまりは、こうだ。聖人君子に出会いそれは生まれつきのものだからと自己の怠慢を隠蔽する。隠蔽しようとしたところで生まれつきのものを持ってない、しかもその聖人君子に恨みを持っていた者が、出会い改め受け入れる。自己の怠慢の隠蔽に失敗した上に、そもそもその聖人君子は聖人君子なんかじゃなく、傷つき悲しむただの人間が、優しくあろうという己の強さで勝ち得たものであるという、隠蔽した記憶さえもほじくり出される。そうして自己の弱さとか汚さとか怠慢とかをつきつけられてもなお、スレた子のように彼女を受け入れられない弱さが、その作品に対してイライラして遠ざけることで、何とか隠蔽しようと試みる。そんな脆弱すぎる心の働きが、面白い、人によってはただほのぼのと読めるだろう漫画に、イライラした原因なんだろうなっと。
まあ、それはともかく芸能界ってのは大変やね。彼女らみたいな真実いい子でさえも摩耗してっちゃうんだろうなって考えるとやり切れない気分になる。でもそれは異界の話なんかじゃなく、今ある現実と地続きなんだと思う。つまりは縮図。徹底的に商品化される人*1。そういった環境下で、徹底的に商品化され身や心を捨て値で切り売りしなければならない環境で、どうなっていくのかってのは傍から見てる分には面白くあるんだけど、中に入る人は大変だよねっと。

*1:と、その商品に対して権力を持つ若干外部なる人。いや、結局のところ若干外部で権力を持ってる人も、商品化された人と変わらないんだけど、芸能界って市場ほどには商品化されず流動性が低いから外部はまだ安定性があるんだろうな。